FONTAINE




紅茶は、いい。
よくもまぁ毎日毎日あんなにたくさんの食物を用意して、あまつさえそれを廃棄して。
人間たちの行動は、いつまでたっても理解に苦しむけれど。
それでも、この飲み物は素晴らしいと思う。
湯気とともに立ち上る、芳醇な香り。紅く透き通った、色。

なのに。
(もうちょっと、味わってくれませんかねぇ…)
注いだそばから、彼女はそれを一気に飲み干した。


どうも、こんにちは。
エマニエル様のところでお世話になっております、リゼルと申します。
今日はちょっと、僕の話を聞いて頂けませんか?
え?愚痴?
いえいえ。滅相もない。
…ただ、えぇ…ちょっと、風変わりな方々ですから。


「リゼル!おかわりちょうだい」
きーっ!、とマンガのような声をあげて、カオリさんがカップを突き出した。
「お注ぎするのはかまいませんけど、カオリさん、火傷しますよ」
「あっ、大丈ー夫。私、ネコ舌じゃないから」
ゆっくり飲むように、という意味で言ったつもりが、彼女には伝わらなかったようだ。
「気をつけて下さいね」
「ありがと、リゼル」
念を押すためにもう一度言ってみると、カオリさんはにっこりと微笑んだ。
笑うと左頬にえくぼができる。

「…ふふん」
脇から馬鹿にしたような声が届いた。
顔を向けて見るまでもない。
この屋の主、エマニエル様だ。
尊大な態度(実際、ご身分は高くていらっしゃるのだけど)でソファを陣取って、カップを手に、器用に片眉だけ上げる。
(……またこの方は…)
僕が心のすみでため息をつくのと同時に、傍らから怒気が噴出した。

「もう!それよ、それ!何その人をバカにした態度!」
「なんのことだ?」
「自覚ないの!?ちょっと、無自覚でそれなの!?」
えー、もうヤダ。これだから生まれついての上流階級は!ダメだよこういうのは子供の時からちゃんとしないと、絶対直らないんだから。ホントもう何考えてんの王家の教育係は!
とかなんとかブツブツと一通り文句を言ったあとで、
「どう思う、リゼル!?」
なんて、意見を求められても僕の立場では言えることなど限られているわけで。
それではカオリさんのご希望に添えないことは明白だったので、曖昧に笑うしかない。
「もう、笑ってないでなんとか言ってやってよ」
「いえいえ、僕からは何も」
大体、あのエマニエル様が“無自覚”に何かするなんてことは、ない。
他者からどう見えるか、それがどう影響するか。
そういうことを常に考えなければならないところで過ごされてきたのだから。
あるとすれば単純に、カオリさんをからかっているだけのことで。


「…で、今日は何が原因なんですか?」

カオリさんが放課後にこの屋敷を訪れることが日常となって、ずいぶん経つ。
もともとよく笑い、よくしゃべり、感情表現の豊かな人なのだけれど、最近の彼女はよく怒る。
「ん?あー、どっか行こうよって言ったのにさ。エマってば相手にしてくれないからぁー」
その内容はいつも些細なこと。
それでも彼女にとっては重要らしく、来るたびに一通りエマニエル様と揉めて帰るのだ。
「出かけると言っても、今日は晴天ですよ」
「ホント、お日様さんさんでお出かけには適しませんねー」
今日いい天気だもんねぇ、とカオリさんは肩をすくめた。
一般的にはお出かけ日和と思えるような素晴らしい快晴も、残念ながら我が主には忌まわしいものでしかない。
「わかっているならなぜ言い出したんだ?」
「だから別に、今出かけるとは言ってないじゃんか」
「かといって、夜から出かけても仕方ないだろう」
「だって昼間が無理なら夜しかないでしょー」
ぶぅ、と唇を尖らせてカオリさんは睨みをきかせる。

「仕方ない奴だな」
そんな彼女を見ながら、小さくため息をついたエマニエル様の口元がわずかに緩んでいて、僕は密かに驚いた。
そうそう、最近(ほんのちょっとだけど)エマニエル様の顔にも笑みが覗くようになったんですよ。
普段の彼を見知った者にしかわからない、些細な変化ではあるけれど、僕にとってはそれはもう相当な驚きなわけで。
それに、エマニエル様がカオリさんと出かけるのを渋っている理由もなんとなく想像がつくので、微笑ましくて仕方がない。もちろん、口にはしないけれど。
(夜出歩かせるのが心配なら、心配だってそう言えばいいんじゃないんですか、ねぇ)

「大体、散歩なんていつでもできるだろうが」
「じゃあ、今からでも行く?」
「お前はオレを殺す気か?」
「だから夜にしよーって言ってんじゃん」

平行線の会話に、カオリさんはため息をついた。
彼女の場合、こうやってちょっとした誘いが断られるのは日常茶飯事なので、さしてショックを受けることもないらしい。

「散歩といっても、すぐそこの公園だろう?それこそいつでも、友達を誘えばいいじゃないか」
じゃあ帰ろうかな、とソファの上で伸びをした彼女に、エマニエル様が声をかけた。
本人としてはフォローでも入れたつもりなのだろうが、まるっきり逆効果だ。
「うっわ。お誘い断られるのは慣れてるけど、今のはちょっと傷ついたわよ」
案の定、眉をひそめた彼女は、勢いをつけてソファを立った。
そのまま怒って部屋を出るかと思ったら、逆方向にずんずん進み、何が機嫌を損ねたのかわかっていないエマニエル様に詰め寄った。

「あのね、エマ。あなたいろんなことソツなくこなすくせに、こういう時ニブすぎ」
「…なんのことだ?」
「誰か誘え、って私が誰と出かけようと興味ないの?男友達だって多いんだからね?」
「……」
まったくもう、とカオリさんはぼやいて、その後に僕をふりかえり、
「やっぱ、翡翠の王家は教育がなってませんねー」
とうそぶいた。

「あ・の・ね。エマと、行きたいの。」
ずいっとエマニエル様に顔を寄せて、
「エマと出かけることに意味があるのよ」
他の誰かといったって意味ないじゃん、とまるで一瞬後にはキスでもするのではないかという近さで彼女は言った。
ふふん、と誰かにそっくりに不敵に笑って。

その大胆でまっすぐな発言に、彼の顔には動揺が浮かんだ。
ここで軽くでも頬が赤くなったりすればいいのだろうけれど、この主はそんな器用にできていない。
むしろ言葉を失ってしまっていることだけでも、十分珍しい。
まったく、カオリさんはエマニエル様のさまざまな表情を引き出すことが、うまい。

「……はぁ…、で?いつ出かければいいんだ?」
しぶしぶ、といった感じを装って、エマニエル様がようやく声を発した。
「え!行くの!?」
「お前が言い出したんだろう」
「なになに?やっぱり私が他の男と出かけるのはヤだったの?」
「…行かなくていいんだな?」
「嘘です!ごめんなさい!」
カオリさんの軽口に、露骨に眉をひそめてみせた割には、嫌がっている素振りはない。

そういえばまだ、たった17歳なのだ。
エマニエル様を見ていると、年若い彼に圧し掛かるものの大きさに眩暈がする。
これまで。そう、彼女に出会うまで、そんなことは思わなかったのに。
強く凛々しく、信念を貫き通す彼から、年齢を感じさせられるなんて、ありえなかったのに。
彼女といる時のエマニエル様は、年相応で。
そんなごく当たり前のことが哀しく思えてしまうのは、彼が王家の者だからだろうか。吸血鬼だからだろうか。


「お2人は、本当に仲がよろしいですね」
「…何を言っているんだ」
思わず口を出た言葉に、エマニエル様は顔をしかめた。
それが照れ隠しだとわからないはずがない。

「えへへーありがと、リゼル」
「お前も何を喜んでるんだ」
「えー、喜ぶとこでしょ、ここは」
「めでたくていいな、カオリは」
「あー!もう、だから!そういう言い方がダメなんだって!」

日が落ちるまでの間、彼らはそうしてじゃれあっておいででした。
カオリさんの怒鳴り声が部屋に響いて、それをエマニエル様が苦笑したり、あしらったり。
そんなのどかなどこにでもある風景が、この屋敷でも繰り広げられていた頃は、僕がどんなにおいしい紅茶をいれても、褒められることはなかった、というお話です。

また口論(といってもしゃべっているのは専らカオリさんですが)に戻ってしまったお2人のために、カップを差し替えようとすると、彼女のカップには並々と紅茶が揺れたまま。
(結局、飲んでないじゃないですか…)
…えぇ、まぁ。良い方たちではあるんですけれどね。








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