椅子に残った温もりは



なんだかいつもアイツの背中ばかり見ている気がする。
誓って、背中フェチとかそういうんじゃない。
なんだろ、つまり。
アイツがあたしの方を見てないってだけのこと?





レトロな昭和の雰囲気漂う平屋の一室を改造して、仕事部屋として使っている。
見た目は、一般的な読書家のオジサマの書斎と、これまた一般的な科学者、それぞれの活動拠点をごちゃ混ぜにしたような感じ。
結果としてそれが、良いとこ取りなのか悪いとこ取りなのかはあたしには判別できないのだけど。


「ねぇ、今度はどこの神サマ調べてるの?」
さっきからアイツはずっと山のような書類やら文献やらとにらめっこしている。
神サマ、というのはヤツの職業上、どうしても調べておく必要があるものらしい。


あんまりにもつまらないからその背中めがけて声をかけてみたけど、返事はない。

全く、カノジョが来てるっていうのにこのザマだ。
とはいえ、あたしの存在が“彼女”と呼べる代物なのかは疑問ではある。
確かにあたしは、この奇妙奇天烈万年土気色のこの男のことを大切に思っていて。
そしてその感情が、世間でいうところの(あたしに言わせればひどく陳腐な)恋愛感情とやらに似かよっていることは、そりゃあもうものすごく悔しいのだけど、認めているけど。
でもだからといってそれがそのままコイビトという関係には結びつかない。
そこには目の前の、黒の単衣に白衣という、ふざけた恰好の死神の同意というものが必要不可欠だ。


相変わらず、あたしの質問への返答はない。

なんというか、とにかく、アイツは仕事馬鹿なのだ。
普段の生活に関しては私と同じくらい(と、自分でいうのも変だけど)無関心で無気力なくせに、仕事となれば驚く程マメで、本人は「命がかかってるからだ」とか言っているけど、つまるところ仕事が好きなだけのこと。
『あたしと仕事、どっちが大事なの!?』
なんて愚かな女の証明みたいなセリフを吐くつもりはないけど、こう長いこと放っておかれると腹もたつ。



「シン、コーヒー冷めるわよ?」
机にかじりつくように、という形容はコイツのためにあるんじゃないだろうか。
あたしの気遣いは再び無視された。
部屋に来た時に入れてあげたカップの中身はとうに飲み頃を過ぎてしまっている。



どうしてこんな男に惚れてしまったのか。
そう思わないわけじゃない。



ゆるやかに立ち上っていく紫煙を見ながら、あたしはため息をついた。
いつのまにか、あたし専用(と勝手に思っている )ソファから、こうしてアイツの仕事風景を眺めるのが習慣になりつつある。

病院のベッドに縛りつけられるあの日々からの脱却を望みはしたけれど、今のこの状況を望むかと問われれば、答えはもちろんNOだ。


完全に飽きてしまったあたしは、ソファの上で膝を抱えた。
俗に言う体育座り。
自分の膝と膝の隙間から覗いた指先は、我ながら生白い。
しかも塗っているエナメルが濃紺だったりするから、その白さが際立っている。
親指の先が、少しだけ剥げてしまっていた。
(あぁ、ペディキュア塗り直しだなぁ)
どうせヒマだし、隣りの部屋で直して来ようかと思い、伸びをする。

抱えていた足を床に下ろしたとたん、だった。

「どこいくんだ?」
突然前方から声がかかる。
「は?」
驚いて見てみれば、アイツは相変わらず前を向いたまま。
しかしその声は、まぎれもなく目の前の男のものだった。

「なんであたしが出てこうとしたの知ってるのよ?」
「んなもん、気配でわかるだろーが」

当たり前のことのようにサラリと返す声が憎たらしい。


こっちのこと、見ようともしなかったくせに。
心の内にとどめておくはずだった言葉は、うっかりと外にもれてしまった。
その声は、うんざりするくらいに子供っぽい。

「なにスネてんだよ、日向」
ククッ、と咽の奥で笑われた。
だから嫌だったんだ。こんなこと言うのは。


「うるさいわね。人の質問シカトするようなヤツに笑われたくない」
一度笑われてしまったのだから、子供っぽいついでに恨み言くらい言わせてもらおう。
「質問?」
ほら、答えられないでしょ?

仕返ししてやった、と口角を引き上げて、あたしは挑戦的な視線を送った。
一方アイツはといえば、レポートの最後の一字を書き上げたのか、それともキリになったのかは知らないがペンを置いた。


「あー」
時間稼ぎでもするつもりなのか、やけに間延びした声を出しながら緩慢な仕草でくるりとイスを回転させた。

「シカトなんかしてねェよ。
 今調べてんのは愛媛についてだし、
 コーヒーは、ほら、俺猫舌だろ?だからわざとだ、わざと」

そう言ってクイッと一気に飲み干した。
「聞こえてたんなら返事くらいすればいいじゃない」
「悪りィな」

大して反省していない口調と右手であたしに謝罪すると、イスから降りた。
適当な対応をされたと思いつつも、アイツの視線の先にあたしがいることで少し機嫌が直る。
我ながらなんて単純なんだろう。


「なァ、日向?」
「何よ?」
「愛媛について調べてたのは、仕事のことだけじゃねェよ。
 今度俺の同僚があっちに行くんだが、そン時に寄ってもらおうと思ってな」
「どこに?」
「あ?お前、前に言ってたろ。
 昔、お前のオヤジさんとおふくろさんが出会ったとこだって。
 そこに咲いてた花を頼もうかと思って、な」

だからその花の詳細を調べていたのだと、平然と言い放つ彼は、その大変さに気付いているのか。


言った本人のあたしも詳しくは知らない。
両親ですら、どこまで覚えているか定かじゃない。
そんな、思い出の中に咲く花を、探してくれようとしているのだと言う。

「いいのに…そんなの」
「は?お前、俺がやりだしたらきかねェタチだって知ってンだろ?」


あたしの言葉を軽く笑い飛ばして。
出会った時と全く変わらない。
この男は、どこまでも強引だ。


「さすがにあのコーヒーは俺でもぬりィな」
コキ、と首を鳴らして、あたしの元へと近づくと、空になったカップを差し出した。
「新しいの入れてくれよ」

休憩にしとくか、と笑う姿が、
図々しくて憎たらしいのに、半面とても愛しい。

あたしも落ちたものだ。
いや、この目の前の死神に堕ちた、のか。



どうしてこんな男に惚れてしまったのか。
そんなの、わかるくらいなら苦労はない。




椅子に残った温もりは

人間とは違う精神体特有の氷のような冷たさと、
ブラックコーヒーにスプーン山盛りの砂糖くらいの甘さ。







content