pleasant phrase 01


「ちょっとーっ!いるんでしょ!!」
本当に5月かと疑いたくなるような日差しの中で、
私は借金取りよろしく他人の家のドアを叩いていた。


雨の中、洋館で不思議な体験をしてから2日。
私はまたこの場所へ来ていた。


この館の住人に追い返された翌日、
失われるはずだった記憶は明確に残っていて、当然のように私はここを訪れた。
しかしどんなに声を張り上げても彼は姿を現さなかった。
完全無視ってやつだ。
昨日は午後から部活の練習があったし、
お母さんから早く帰って来いってメールがあまりにもうるさかったからあきらめてあげたけど。
今日は一日ヒマなんだ。とことんやってやろうじゃないの。


ぜーったい彼に会ってやる!

そう固く決意して家を出てきたわけだから、
ちょっとくらいシカトされたからってめげるわけにはいかない。
いくらこの状況が、もう2時間も続いてるからって。
あきらめたりするもんか。

「いーですかぁ!?今日は絶対途中で帰ったりしませんからね!」
左手でドンドンとドアを叩きつつ、右手は呼び鈴を鳴らし続ける。
最初はおとなしくドアの前で立ってみたりしていたけど、
さすがに2時間放置されたらちょっとキレ気味になってしまった。

こんなこと普通の家でやったら騒音でご近所から苦情が来るだろうし、
何より住人の手で警察に突き出されるに違いない。
でも彼の場合、警察へ行くことはないだろう。だって、吸血鬼なわけだし。

それに。
昨日も1時間シカトされて、呼び鈴連打という強硬手段に出てみたけど、お隣さんはちっとも動じていなかった。 もしやと思って「おーい」と言ってみてもどこからも反応はなかったし。
たぶん、ここで私が大きな声や音を出しても周りの迷惑になることはないんじゃないんだろうか。
原因とかはわからないけど、 もしかしたら結界とかそういうファンタジーっぽい(私にとっては夢のような)仕掛けとかがあるんじゃないか、 なんて思ってみたりして。


彼は留守かもしれない。
昨日はそんなことを思ってみたりもしたけれど、今はその可能性はゼロだと断言できる。
今朝,来るなり私が呼び鈴を連打したら、家の中からガタン、と物音がした。
それはまるでベルの音に驚いてベッドから落ちるような。
…まぁ、彼にそんなマヌケなイメージは似合わないけど。
とにかく、そんな音がして。
その後しばらくこちらを伺うようなガサゴソという物音が続いた。

彼が私と会ってくれることはないのだろうか。
どうせ居留守を使うならもっとうまく隠れればよかったのに。
この中にいることはとっくにばれているというのに、彼は姿をあらわそうとしなかった。

「あんなふうにいきなり追い返して、しかも魔法が効かなかったんだから!
 説明くらいするのが義務ってものでしょう!?」

思いっきり怒鳴ってやった。
それが本当に義務かどうかはわからないけど、とにかく私は必死なんだ。
小さい頃に夢見た世界に片足を突っ込んだ状態なんだから。
ここであきらめたら、きっとずっと後悔する。


それでも何の反応もない屋敷の様子に、思わずため息が漏れた。

やっぱり、たかが女子高生が興味本位で騒ぐのは迷惑なんだろうな。
自分がいかに非常識なことをしているかはわかっているつもりだ。
突然押しかけて、何時間も玄関先に居座って。
いくら相手が人間ではないからといって、許されるわけではない。

「だけどさ…」

彼に惹かれてしまったのだ。
それも、どうしようもないくらいに。

恋する乙女の所業なら許されるかというと、そうでもないんだけど。



ガチャリ

突然の物音に、私は二度目のため息を飲み込んだ。

目の前の重厚な扉がほんの少しだけ開いている。
そしてそれは、ゆっくりと、ひどくめんどくさそうにわずかずつ開いていった。

「いいかげんにしろ」
気だるげなそのテノールを、どれだけ心待ちにしただろう。

真っ白な肌。
白銀の髪。
そしてその前髪の奥の翡翠色の瞳。

2日前に出会った無愛想な、だけどものすごく美しい男が、そこにいた。

「あ、あのっ」
いざとなったら何を言っていいのかわからない。
私はなにをしに来たというのだろう。
もっともっと話しかけて。
もっともっとこの人を、よく知りたいのに。

「何をしに来た」
呆れたようにそういって、彼は私を見た。
「オレは吸血鬼なんだと言わなかったか?」
「…だから来たんです」
その言葉に私は、思い立って開きかけのドアをつかむと言い返した。
また扉を閉められたんじゃかなわない。
「あなたが自分のことを吸血鬼なんて言うから。だから私、それを確かめに来たんです」
「なんのために?」
「そんなの!あなたと仲良くなりたいからに決まってるじゃないですか!」

10秒間の沈黙の後、ふぅん、と彼はつぶやいた。

「よくわからないやつだな、お前は」
わかった、あきらめよう。
そう言って彼は軽く息をついた。

「この家の存在には気付くし、術はかからないし、あげく、居留守はきかないようだし」
「……」
「こう毎日、呼び鈴を鳴らされ続けたらオレの頭がおかしくなる」
「えっ、じゃあやっぱり昨日もいたんですね?」

私の抗議はさらりと流して、彼はさらにドアを開いた。
2日前と同じ玄関が見えた。

「オレは、エマニエル・ミラ・アズリラード」

にこりともせずに言われた言葉を、
彼が名乗ってくれたのだと理解するのに時間がかかってしまった。
おまえは、と促す声で我に返る。

「私の名前は、橋本香織…で、す。」

ちょっとどもってしまった辺りが我ながらカッコワルイ。
でもまぁ、いいか。
どうやらなんとか受け入れてもらえたようだから。

「おい?上がりたいなら早く上がれ」
玄関先で突っ立っていた私にエマニエルさん(さっそく使わせてもらう)が声をかける。
「あっ、はい、おじゃまします!」
あわててドアをくぐった。
2日前、越えたくても越えられなかったこの玄関の先へ、
エマニエルさんは私を招いてくれるらしい。





うれしくて飛び上がってしまいたいくらいの喜び。

それが、私が彼から教えてもらった最初のもの。







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