solitary phrase 01




「エマ!お待たせ!」
前に迎えに来てもらってから、すっかり待ち合わせ場所として定着してしまった駐輪場裏。
駆け寄った私に、エマは軽く手をあげて応えてくれた。

「本当に早く来たな」
「だって走ってきたもん」
相変わらず自然な仕草で私のカバンを持って歩き出す。
当たり前のようにエマが車道側に立ってくれて、そんなさりげないオンナノコ扱いがうれしい。


「持ったとたん、こういう使われ方をするんだな」
髪と目が茶色いのはエマの外バージョンなのでいいとして。
そう、いつもと違うのは、彼の手に鈍い銀色をした機械があること。
開いたり閉じたりと弄ばれて、チャカチャカと音を立てているのは、紛れもなく携帯電話。

「別に迎えに来いって言ったわけじゃないんだよ?」
「下校時刻を詳細に送ってきたのは誰だ?」
「……いいじゃん、せっかくケータイ持ったんだし」
意地悪く口の端を上げて覗きこまれると、何も言えない。
迎えに来てくれてうれしいのは本当だから。
一緒に歩いているだけで幸せ、だなんて相当溺れてると思う。


「番号教えろ、って言われた時は驚いたけどねー」

ある日、いつものデカイ態度でそう言い放つと、何を思ったのかその手には携帯が握られていた。
そんなものなくてもこれまで不自由なく暮らしてきたのに、急にどうしたというのか。
当然のように最新モデル(予算の関係上、私は泣く泣く諦めた)を選んでる辺りが腹立たしかったりもして。
まぁ私の疑問はいつものようにまるっきり無視されたわけだけど。
とはいえ、エマとの連絡ツールができたことは大変喜ばしいわけで。



「今日は練習じゃなかったのか?」
最初のうちは戸惑っていたものの、ものの数分で仕組みを理解すると、今ではすっかりメール機能を使いこなしている。
(吸血鬼うんぬんっていうより、根本的な知能の差を感じるんだけど…)
会いに行けない時も、しっかり連絡できるようになったのはかなり助かる。
「また変質者でも出たか?」
「また、って…前はリゼルがデマ流したんでしょうが」
「違うのか?」
「違う違う。顧問に急な出張が入っちゃってさ。基礎練だけやって上がってきちゃった」
そうそう毎回都合よく、変質者は現れない。
どんだけ危険地域なんだって話だ。
「お前、なんだかんだと練習サボってないか?」
「なっ!失っ礼な!普段はちゃんとやってるもん!」
そりゃあここぞとばかりに抜け出して来たことは否めないけども。
そこはほら、エマと少しでも長くいるためだし。
だいたい、練習自体は終わってて、後は部室でグダグダするだけだったんだから。
問題はないはず。うん。



「なんかエマって意地悪だよねー。最近ホントそう思う」
「…なんだ。今さらわかったのか?」
「う、わ。開き直ったよ、この人。」
「嫌なのか?」
ふいにグイっと私の左手を引いて、距離を詰める。
鼻先と10cmの位置に、エマの顔。

「〜〜〜〜〜っっ!」

嫌なわけないし。嫌ならとっくに離れてるし。むしろ離れらんないから問題っていうか。てか大好きだし。いやいやでもそんなことここで言うのはなんか負けた気がする!くそぅ、近い。近くで見てもかっこいい。…って思っちゃうのがまた悔しいなぁ。っていうか地まつげがそんなに長いってどういうことよ。マスカラ塗っててもかなわないんですけど。神様は不公平だ。あ、吸血鬼に神様はないか。あああああ!今そんなこと考えてる場合じゃない。近い近い。近いよぉぉーっっ!!
(てか、エマ、笑ってるんですけど!)

ぐるぐるぐるぐるパニくっていた私を見て、当のエマニエル氏はくつくつと小さく笑っていた。
「ゃ、ちょっと!エマ!」
「くっくっ、カオリ、何を百面相しているんだ」
「んなっ!だ、誰のせいだと思って…っ」
「悪い。オレが悪かった…くくく」
「エぇーマぁぁーー?わ、ら、い、す、ぎ!」

ツボに入ったのかいつまでも笑っている彼を睨みつけると、軽く肩を上下させながら(だから笑いすぎだっつの)謝られた。
「もー、そういうことするから意地悪だって言うの」
「でも、嫌ではないんだろう?」
ふ、とさっきまでとは異なった質の笑みを向けられてどきりとする。
簡単に高鳴る胸が忌々しいけど、好きなものは好きなんだから仕方ない。
「…知らないもん」
そのまま正直にうなずくのは悔しくて、わざと目をそらしてみる。
「拗ねるな」
ぽん、と頭に重さを感じた。
驚いて顔の向きを戻すと、エマは苦笑を浮かべて私の頭を撫でていた。
ひやりとした彼の手がそっと髪を梳いていく。
かぁぁっと顔に血が上る。

なにすんの。この人は。


「さ。行くぞ」
その場で完全に硬直してしまった私に声をかけると、何事もなかったように進もうとする。
ちょっと待ってよ。頭がついていかない。
ぽかんとしたままの私に、しょうがないなとでも言いたげに息をつくと、そのまま私の左手をとって歩き出した。
「ちょ、エマ」
「まだ何かあるのか?」
「……や、な、ないです、けど」
「行くぞ」

なんだこのオレ様っぷりは、とか一応は思うんだけど。
エマのそういう態度はあまりにも自然すぎて。
今さらそれに抵抗するとか、そんな気も起きないというのが正直なところ。
それにしても。
なんだか最近急にエマのスキンシップが増えて、そのせいで私の心臓は毎回悲鳴を上げている。
もちろんうれしい悲鳴なんで、いいんですがね。

やられっぱなしは嫌なので、ほんのちょっと勇気を振り絞って左手に力を込める。
ただ握りこまれていただけの手を一度ほどいて、そっと指を絡ませた。
コイビトつなぎ、なんてフランスでは言わないのかもしれないけど。

内心ドキドキしていると、彼の方もギュッと強く握り返してくれた。




「そういえば、さ」
「ん?」
「これからしばらく、遊びに行けないかもしれないんだよね」

ひんやりと冷たいエマの手に、私の体温を与えるかのように。
以前はその冷たさに驚いて離してしまったけれど、今ならそれも、愛しく思える。

「なんかね。近いうちに練習試合があるんだ」
まだ上旬とはいえ12月だ。さすがにこんな時期に公式試合はない。
でも、生徒思いなことを喜んでいいのか悲しんでいいのか、うちの顧問は他校に練習試合を申し込んできた。
実はそこそこに実力のあるテニス部なので、相手も快諾したようで。
「冬休みに入るとなにかとイベントも多いし、その前にってことでみんなも張り切っちゃっててね」
「そう言いつつ、カオリも楽しみなのだろう?」
「うん、まぁ。やるからには勝ちたいし」
これから練習試合までの間、顧問やコーチがしっかり練習に付き合ってくれるらしい。
部長が今日の基礎練を早めに切り上げてくれたのは、明日からもっと厳しくなるからで。


「帰りはずいぶん遅くなるんだろうな」
「んー、どうだろ。練習時間を伸ばすっていうか、メニューがきつくなるんだと思うけど」
「まぁ、せっかくコレも持ったんだし、遅くなるようなら連絡しろ」
携帯を示しながら言う彼に、苦笑を返す。
「そんな遅くはならないはずだよ?」
「わからないだろう。サファイアの奴らは来ないにしても、夜道が危険なことには変わりはない」
「前も言ってたけど、なんでサファイアは襲ってこないって言えるの?」
「ん?いや、確かな証拠はないがな」
「え、カン?」
「まぁそんなところだ」
「エマでもそんなこと言うんだねー」
「お前オレをなんだと思っているんだ?」



他愛ない話をしながら2人で歩いていると、ふとエマが足を止めた。
「なんだ?あれは」
「ん?なに?」
す、と指差された方向を見ると、歩道沿いに植え込まれた街路樹だった。
すっかり葉も落ちてしまっているけれど、別段おかしなところはない。
「どうしたの?」
「この、電球はなんだ?」
なにが気になるのかと問えば、彼は枝のコードを示した。
確かにそこにはぐるぐると電飾が巻きつけられているけれど。
「あー、それね。その木だけじゃなくてここの通りの街路樹には全部ついてるはず」
「何かイベントでもやるのか?」
きょとん、とした顔で言うから、こちらが驚いてしまう。

「え。エマ、それ本気で言ってる?」
「?」
「…今12月だよね?」
「ああ」
「ああって…クリスマス、あるじゃない?」
「……あぁ…もうそんな時期か」
彼が17歳に見えないことはいつものことだけど、そんなおじさんみたいなセリフを吐くとは思わなかった。
吸血鬼にクリスマスを心待ちにしろ、なんて言わないけどさ。

「ここのイルミネーション、けっこう有名なんだよ」
駅まで続くこの大通りの両サイドにずらっと光の列ができる。
とくに仕掛けがあるわけではないけれど、その光景はたしかに壮観だ。
「たぶん点灯はもっと先なんだろうけど…その準備じゃないかな」
「カオリは毎年見ているのか?」
「通学路だしね。きれいだよー」
きらきらと点滅する光の中を、見物客たちがぞろぞろと歩く。
ただ単に帰宅途中の自分には邪魔に思えたりもするんだけど。
見物客の大半が若いカップルで、彼らが幸せそうなオーラを撒き散らしているの見ると、やっかんでいる自分に気付いて悲しくなったり。
去年までの私は腕を組んで歩く彼らを、うらやんでばかりいた。


「じゃあ、さ。一緒に来る?」
今年はちょっと違うから。
隣には、彼がいるから。

「せっかくだから、イヴにでも。一緒に観に来ようよ」
「イルミネーションを?」
「うん。フランスにもあるだろうし、珍しくもないだろうけど」

せっかくこの街に来たんだから。
せっかく私のところへ、来たんだから。
本当はそんなこと口実で、クリスマスイヴに好きな人といたいだけだ。
大好きなエマと、一緒にいたいだけだ。

「あ、でも、やっぱクリスマスってだめかな!?聖なる日だし!」
沈黙が訪れるのが嫌で、結局口を開いてしまう。
「そうだよね。人も多いし。うん、無理しないでね!」
本当はデートなんてできなくていい。
屋敷でリゼルと3人で過ごすのだって全然かまわない。
ただそれだといつもどおりすぎて、あえてクリスマスに一緒に過ごす口実にはならなかっただけで。

「観るだけで、いいのか?」
「え?」
「だから、イルミネーションだけで満足なのか?」
隣でエマが微笑んでいる。
私の心配なんて、まったく気にしないみたいに。
「“せっかくの”イヴなんだろう?食事くらいしてもいいだろう?」
「え…いいの?」
「なにがだ?」
「だって、吸血鬼にはクリスマスなんて特別な日でもなんでもないでしょう?」
「ああ。だがカオリは大事にしたい日なんだろう?」
私が大事にしたいイベントだから、付き合ってくれるんだ。
なんだかんだいって、この人は、優しい。
「そんな日にリゼルまで一緒にいるのもな」
「…2人で、いいの?」
「3人がいいのか?」
憮然とした顔で切り返されて、私は思わず吹き出した。
なにその反応。

「デートみたいだね」
「デートなんだが?」
「…………え!?エマもそのつもりなの!?」
「カオリ。そろそろ怒るぞ」
だってだって。そんなの私の思い込みかと。
どうしよう、これじゃホントにコイビトみたいだ。

「じゃあ、イヴの日にイルミネーション見て」
「その後にどこかで食事、だな」
「…約束、だからね」
「あぁ、わかった」
ほんわかと、惚れ直しちゃうくらいの微笑でうなずかれて。
また赤くなる頬を意識しながら、私もうなずき返した。



「冷えてきたな」
きゅ、とつないだ手の力が強くなった。
さっきまで冷たかったエマの手は、私の体温で少し温かくなっていた。
いつだったか変温動物と彼自身が言っていたのは本当らしい。

「ホンっト寒いね」
「そんな格好だからだろう」
女子高生特有の短いスカートを目線で指しながらエマはは言う。
確かにブレザーにコートで上半身は完璧なんだけど、足がね。
「こればっかりはねー、長くもできないし」
「ふぅん?」
「なんか不満そうだね?」
「そんなことはないが…」
うちのお父さんと似たような反応してるんだけど。
なんか今日のエマってば、おじさんちっく?

「それよりも、部活終わりはもっと暗くなってるんだろう?」
「え?うん、さすがに今よりは遅いだろうね」
それよりも、ってエマからスカートのこと言いだしたくせに。
「…練習が終わったら連絡しろ。迎えに行くから」
「えぇ!?いいよ!そんなに迷惑かけられない」
そりゃ、エマと一緒に帰るのはうれしいし、楽しい。
でもだからといって練習のたびに迎えに来てもらうなんて、負担以外の何ものでもない。

「カオリ…なにか誤解しているようだが」
大好きなだけに、そんな負担はかけたくない。
どうやって断ろうかと必死に考え始めた私に、エマはため息混じりにつぶやいた。


「迷惑、じゃない。オレがやりたいだけだから」

なんて言われたら、言い返すことなんてできるわけないのに。
呆れたような、困ったような。
そんな優しい表情で押し切られて、私は息をついた。
「しょうがないなぁ…じゃあ、すごーく遅くなったら、ね?」
送らせてあげようじゃないの。
エラソーに言い放った私を軽く小突いて、エマが微かに笑った。








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