嗚呼、空はこんなにも高く蒼い。 前




「ああああぁっ!ダメですカオリさん、まだ開けちゃ…っ」

ぼんっ!!

およそオーブンから発したとは思えない低い爆発音がした。
「ごめんリゼル…」
「とりあえず、ケガはないですね?」
次いで、従者の呆れたような声が聞こえる。
おかしい。
のんびりした秋の昼下がりはどこへいったのか。
静かに読書もできはしない。


「やれやれ…」
誰にともなく息を吐いて、立ち上がったとたん、鬼のような形相をしたカオリが飛んできた。
「ちょっと!エマ!!その部屋から出ちゃダメだからね!」
「そうは言うがな」
「ダメったらダメだからね!」
凄まじい勢いで睨みつけられる。
一体オレが何をしたという。

「オレの屋敷なのに、どうしてオレの自由が保障されないんだ?」
さして不満というわけではないが、浮かんだ疑問を口にすると、カオリはぐっと口をつぐんだ。
「カオリ?」
「…っ!…え、エマのものは私のものなのよっ」
「……お前のものは?」
「私のもの!」
彼女の言葉に脱力したオレは、大人しくソファに戻ることにした。
「これ以上私にジャ〇アンみたいなセリフ吐かせないように、そこにいて。ね?お願い」
上目使いに頼まれれば、あえて抗うほどのことでもない。
本も読みかけだし、目を通したい資料もある。
どうやら長丁場になりそうだ。



―ガチャンッ
―ドサッ
―フシューッ


先にカオリの口から暴言が飛び出してから2時間強。
相変わらずオレは居間での軟禁状態を余儀なくされている。
時間つぶしにページをめくるたび、リゼルとの生活では到底聞こえてこない音がする。
騒音の出処がどうやらキッチンらしいことはわかるが、何が起きているのかは全く不明だ。
カオリが何かしら料理を作りたいのだろう、とそれくらいの想像はつくのだが。


「エマっ!!お願い、キッチン貸して!」
そう言ってカオリが屋敷へ飛び込んできたのは、今日の午前中だった。
未だ夜型の生活ではないとはいえ、元来吸血鬼は朝に弱い。
寝起きの頭にカオリの声は響く。
その上、今回はやけに興奮しているようだ。
流されるままに承諾すれば、どういうわけだかこの身には居間からの退出禁止令が出されていた。
大人しく彼女の言うがままに従って、早6時間。
そろそろ様子を見に行ってもいい頃だろう。
いい加減しびれを切らしたオレは、2人に気付かれないように気配を消した。
屋敷といっても大豪邸に住んでいるわけではない。
普段オレが使う部屋に日光が当たらないことを考慮したために、キッチンまでの距離もそう長くはない。
足音をたてないように進んでいくと、ふいに何かが第六感に触れた。


――パリーンッ

一瞬後に聞こえた、小さな音。
(…何を割ったんだ)
場所柄、ガラスに陶器と割れる物はたくさんある。
思わず足音のことも忘れて走り寄った。


「触るな!」
キッチンには扉がない。
駆けつけて中を覗けば、案の定カオリは割れたグラスに手を伸ばしていた。

「エマ!ごめん、落としちゃった」
無断で部屋を出たことへの文句が飛んでくるかと思いきや、カオリはしゅんと肩を落とした。
「それはいい。ケガはないか?」
「ん。大丈夫。…ごめんなさい」
なおも謝り、破片を拾おうとする手を掴む。
「いいから、拾うな。指を切るぞ」
「でも、割ったのは私だし」
「お前のことだ、ケガをせずに片付くものか」
「なっ!そんなことないもん!」
「オレが嫌なんだ。いいな?やめておけ」
ゆっくりとそう言って手首を引くと、諦めたように頷いた。

「任せたぞ、リゼル」
「かしこまりました。…それにしても、ずいぶん早く来られましたね?」
心得たように箒とちりとりを持ったリゼルが、質の悪い笑みを浮かべる。

「そうだよエマ!まだ来ていいって言ってない!」
「結果的にケガ人を出さずに済んだじゃないか」
「だからって早く来ていいわけじゃないでしょー」
「…早いものか。もう5時だぞ」
「5時!?えっ、ウソ!?」
呆れて壁の時計を指さすと、面白いほどにカオリの頬が引きつった。

「うっわ…ごめんエマ」

そう言うなり、カオリは自分の荷物をごそごそとさばくった。
そういえば、あれだけ騒音を発していたわりに、キッチンの中は片付いている。

「はい!エマ、これつけてリビングに戻って!私もすぐ行くから」
そう叫ぶように言い放つと、ひょいと爪先立ってオレを見上げている。
何事かと身をかがめると、「ちょ、ちょっと!」という上擦った声と共に、オレのこめかみの辺りでパチンと音がした。

「もーっ急に腰曲げないでよ。びっくりするじゃん!」
憤慨するカオリを横目に、音のした辺りを指で辿る。
少し髪が引っ張られる感覚がして、指先に金属が触れた。

「髪留め、か?」
「そ。ま、いーから行って。ね?」
いぶかしむオレの背を半ば押し出して、カオリは笑った。
とりあえずは従えということか。

「惜しかったですね。もう少しでキスできたのに」
キッチンを出る間際、リゼルがどちらに向けたかわからないセリフをもらしたが、それは聞かなかったことにした。








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