嗚呼、空はこんなにも高く蒼い。 後




(先に行け、と言われても、な…)

言われるままに居間に戻ったはいいが、手持ち無沙汰だ。
仕方なしにソファに腰を下ろす。
することもないので、自然に指はヘアピンへと向かった。
やけに視界が広い。
普段は目の上にかかっている前髪は額の上で斜めに縫いつけられているようだ。
頭皮が引かれるような違和感に耐えきれずに、オレが髪留めを外すと、タイミングよく現れたカオリにため息をつかれた。

「あーあ、そんなに早く取らなくてもいいじゃん」
そう言って唇をとがらす彼女は、巨大なホールケーキを持っている。


「はい。本日の成果」
テーブルの上に置かれたそれは、すでにいくつかに切れ目を入れてある。
「リゼルがこっちで食べていいって言ったから、持って来ちゃった」
もうじきお茶も来るからねーと呑気な口調で言うと、隣りに腰を下ろした。
粉砂糖がふりかけられた、山吹色のケーキ。

「なんだ?これは」
「パンプキンケーキ」
「…これを作りたかったのか?」
「そうだよー。あのね、中にかぼちゃペーストが入ってるから」
「誰が食べるんだ、この量」
直径20cmはあろうかというケーキを指指すと、カオリは目を泳がした。
「や、甘く煮たかぼちゃも入ってるから」
「そういうことじゃない」
「ほら、リゼル監修だから味はいいはず!」
「だからな」

全く、と息をつくとカオリの眉がしゅんと下がる。

「もー、ハロウィンなんだから雰囲気で食べきってよー」
そんな無茶な、とは思うものの、この顔に弱いのだから情けない。
魔力が強まるといわれる万聖節の前日に、吸血鬼と過ごそうというのもシュールな発想だが、カオリが楽しみにしていたことに気付かないほど鈍くはない。
「アメリカンタイプのケーキだな。紅茶よりもコーヒーの方がいい」
こんな言葉ひとつで彼女が笑顔になるのなら、甘ったるいケーキも悪くない。



「それにしても、これは何だったんだ?」
リゼルと3人でケーキをつつきながら、オレはテーブルの上のヘアピンをカオリに放った。
「あぁ、それね」
そういえば、という風にうなずくと、横に目配せをする。
それに合わせてリゼルが部屋を出ていった。

「もったいないなぁと思って」
「何が?」
「その目が」
軽い口調のカオリに反して、オレの手が止まった。

「…珍しいから、な」

この目は、王家を継ぐ者にだけ現れる翡翠色をしている。
圧倒的な力を誇示し、相手を従わせる、強い色。

「エマってば、その色キライでしょ」
ばくりとケーキを頬張りながらカオリが苦笑する。

なにも、この目に限ったことではない。
嫌っている?
そうとも、この目は異端の証だ。


「いっつも前髪で隠れてるしさー。前とか見にくくないの?」
「覆っているわけではないからな。支障ない」
「んでも、髪上げてた方が視界よかったでしょ?」
「必要のないことだ」
我ながら、かたくなになっていると思った。
カオリが何か失言をしたわけではない。
だからそんな、悲しそうな顔をする必要はないのだ。


「カオリさん。冷蔵庫から出しただけですが、よかったんですよね?」
気まずい空気を破って、リゼルが戻ってきた。
持ってきた盆の上では、ふるふるとゼリーが揺れている。

「キレイでしょう?カオリさんが頑張って作ったんです」
グラスの1つをオレに差し出す。
確かに、青味がかった薄緑が鮮やかだ。
添えられた生クリームとミントが爽やかさを増させている。

「ミントゼリーか?」
「ううん、レモンゼリーに色つけただけ」
えへへと笑って、本人もグラスを手に取った。
「味はまぁ普通なんだけど、この色になかなかならなくてさー」
「大変でしたよね。配合が難しくて」
「そうそう」
2人で苦労を思い出すように笑いあっている。
何とはなしにスプーンに口をつけると、カオリが食入るように見つめていた。
「おいしい?」
先ほどのパンプキンケーキとは比べ物にならない気迫に、思わずおずおずとうなずいてしまう。
「よかったぁ…」
「そんなに気合いを入れて作ったのか」
「そりゃねー、それをエマに食べてほしかったんだもん」
その割には、キッチンの騒音の大半はケーキを焼く際のものだったが。

「翡翠色にね、したかったんだぁ」

力が抜けたようにソファにもたれかかった姿勢で、カオリがつぶやいた。

「…なに?」
今度こそ、オレの動きが止まった。


(かなわないな…)
満足そうなリゼルの顔。
何より、心底ほっとしたような彼女の表情を見れば、何を思ってこのゼリーを作ったのか、よく分かる。

「エマはさ、自分のことだからわかんないかもしれないけどね。翡翠色ってキレイなんだから」
歌うように、言い聞かせるように。

「落ち着いてて、素敵な色なんだからね?私、大好きなんだから」

ふふふ、と自分のセリフに笑みをこぼして、直後にがばっと跳ね起きる。
「や!目よ!?目の話だからね?色のことなんだからね!」
真っ赤な顔でわめき散らすと、ばしばしとオレの右腕を叩いた。

グラスをテーブルに置いて、いい加減痛いくらいに叩き続ける腕をつかまえる。

「ちょ、何?」
「ありがとう」
たった一言ささやくと、もともと大きなカオリの目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれる。
限界まで開ききったまぶたは、そのままへにゃりと閉じていき、何とも締まりのない笑顔になった。

「ハッピーハロウィン、エマ!」








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