glaring phrase 07




「どうしよ…」


一旦、居間に荷物を置いた私はさっそく浴衣に着替えることにした。

家を出る時に「先に髪をやってから着るのよ!」とお母さんに散々言われたから、
すでにヘアアレンジは完璧だ。もうばっちり。
雑誌を見て練習して来たし、自分でもけっこうかわいくできてると思うんだよね。
やっぱりアップだと襟もとがすっきりしていい。
衝動買いしてしまった赤いかんざしがこれまたかわいくてさ。



さて、浴衣だ!
そう思ってからが問題だった。

何度合わせ直しても、何となくゆるい。
たぶんこのままじゃすぐに着崩れてしまうだろう。
ちゃんと一人で着れるように家で練習して来たはずなのに。
お母さんが横から口出してくるから、できる気になってただけなのかもしれない。

しかも最悪なことに、リゼルに案内された部屋には全身がうつるような鏡がなくて、背中の縫い目がわからない。 悪戦苦闘しながら腰紐で縛ったらやっとそれらしくなったけど、どうやっても帯が結べない。

去年、友達と遊びに行くために買った浴衣は紺色に朝顔の描いてあるやつで。
古典柄、とか言うやつらしいけど、ちょっと花が大きく描いてあるから子供っぽい気がする。
やっぱりお母さんに頼み込んで新しいのを買えばよかったのかな。
今さらそんなこと言ったってしょうがないのに、
着付けがうまくいかないと余計な考えばかりが浮かんでしまう。




「リゼルぅーっ!!」
しばらく頑張ってみたけど、結局諦めて応援を要請することにした。
ドアの向こうの方から返事が聞こえて、すぐに彼は来てくれた。


どうやったらそんな理解力がつくのか知りたいところだけど、
リゼルは私から浴衣の説明を1回聞いただけで、自分とエマの着付けをしてしまった。
そのまま彼にやってもらうのは日本人としてどうかと思ったから
自分でやる、なんて言っちゃったけど。
「わかりました」
こんなことになるなら最初から頼めばよかった。


別に私だってとびきり難しい結び方に挑戦したわけじゃない。
初心者向けな文庫結びにするつもりだった。
(雑誌に『誰でもできる』って書いてあったのに!)

あ〜ぁ。情けない。

日本人のくせにフランス育ちの黒とかげに着付けてもらうなんて。
予定では、2人の着付けをバッチリこなして株を上げるはずだったのに。
「すごいね、リゼル。ありがとう」
内心複雑な私をよそにあっさりと帯を結んで、
しかも私がミスった部分をさりげなく直してくれたリゼルにお礼を言った。


「日本の着物も、コツをつかむと楽しいですね!」
そんな笑顔で言われると胸が痛い。
ごめんなさい。コツもつかめないダメ日本人で。





「それはそうと、カオリさん」
「ん?」
「この間、僕が言ったことですが…」
着付けに使ったクリップなんかを片付けながら、リゼルは小さな声で言った。
「やっぱりエマニエル様にとってあなたは、特別なんだと思うんです」
「リゼル……」

少し前なら舞い上がっていたと思う。
それくらい、従者である彼に認められるのはうれしい。
だけど、逃げようとしていた自分に1度気付いてしまうと、喜びは湧かなかった。
むしろ、慰められているような気がする。
もちろん彼にそんなつもりはないんだろうけど。
「僕は…」
「ありがとう、リゼル」
何か言いかけた彼をさえぎって私は告げた。

「今日、言ってみるよ。エマに…聞いてみる」


エマが好きだ、と。
私がパートナーになりたい、と。


「これで全部終わりになっちゃったらごめんね」
エマに私が避けられたりしたら、
リゼルたちはまた最初からパートナー探しをするんだろう。


「エマニエル様がお待ちです。行きましょう?」
私の言葉は悲壮に聞こえただろうか。





下駄だから、と気遣ってくれて、私はリゼルの手に引かれて外に出た。
日が落ちて、空が薄い紫色に染まっている。

庭に面したテラスで、薄墨色の浴衣姿のエマが立っていた。
足元にはバケツとライターが用意されていて、あとは花火の封を切るだけだ。



部屋からの明りで輝くエマの銀髪と、
きちんと着こなした浴衣の布地の色がよく似合う。

本当はオーソドックスな藍染めにしようかと思って、
実際お店でいい柄のを見つけたんだけど。
急に思いついて隣にあったこっちの浴衣に変えた。


「ずいぶん騒いでいたな」
私のドタバタっぷりを外で聞いていたらしい彼は、ふっと口元に笑みを浮かべた。
基本的に無表情な彼だから、笑顔は貴重だ。
その原因が私の失敗っていうのが気に入らないけど、まぁいいや。


「やはり日本人は着物が似合う」
「キレイだーとかカワイイなーとか、ないの?」

どうせ言ってくれないんだけどね。
エマはキザなことも紳士的なことも真顔でやってのけるくせに、割と肝心なことは言ってくれない。
私が言って欲しいと思うようなことは、特に。

そう思って強気に言った私に、
「綺麗だ。カオリ。よく似合っている」
さらりと彼は言い放つ。
瞬時に顔を真っ赤にした私を見て、エマはクッと笑った。
声に出すなんて本当に珍しい。
(なんか今日、機嫌いいな)


やっぱりこっちの浴衣にして正解だった。

藍の方では色味が強くて、きっとこの翡翠の光を掻き消してしまう。
エマは笑う時そっと目を細める。
そのやわらかい光が大好きで、
それを見るためにここへ来て、くだらない話をしていたんだ。
きっと。


予想を遥かに越えるエマの優しいまなざしに、
不覚にも泣いてしまいそうだった。






back | content | next