trasitional phrase 03



「香織ーっカラオケ行こう!」
「行きたーい!歌いたい曲あるんだぁ」
「でしょ!あたしもカナリアの新曲覚えて来たし」
「え!待ってよ、あたしも行くーっ」
珍しく部活のない放課後、私は友達3人でカラオケに行くことになった。


いつもなら即効エマの家に向かうところだけど、彼は今、外出中。
先日言っていた通り、黒い手紙の送り主のところに行っている。
実は学校が終わったらすぐに帰宅するように言われているから、こうやって寄り道するのは約束違反だったりする。
でも、たまにはこういうジョシコーセーらしい遊びもしたいじゃない。
ただでさえ最近付き合い悪いって言われてるんだし。

だいたいさ。
私が変な気配に尾行されたのが一昨日でしょ。
確かに怪しいし、リゼルの言ってることとも噛み合ってないし。
でも、そんな心配する必要ないと思うんだよね。
そりゃもちろん、エマが心配してくれるのはすっごくうれしいけど。
それに、相手の方に私を狙うメリットがあるとは思えない。
狙いはあくまでもエマなわけで、私が標的になるとしたら…
うーん、たとえば人質として、とかだろうか。
ただ、彼を呼び出す道具に、私では力不足な気がする。
私の身に何かあったとして、エマが一体どこまでの危険を冒してくれるか。

わからない。
と、言うよりは。
(…考えるの、やめとこ)

6時を過ぎて、すっかり暗くなった道を歩きながら、私はため息をついた。




駅から家までは歩きだ。
車通りの激しい通りから一本外れた道を通らないと我が家へは着けない。
「今、襲われたらヤバイなー」
なんちゃって、と1人で笑いながら足を進めた、その時。

バサバサバサッ
ふいの羽音。

「キャア…!」
思わず叫んだ。
私の頭上を通り抜けて行ったのは、いくつかの影。
そう、それは…蝙蝠?

「こ、コウモリ!?なんでいきなり!」
ザザッ
再び頭をかすめる。
「なんなのもーーっ!!」

慌てて走り出した。
学生カバンで頭を庇う。
するとカバンを持つ手と黒い影がぶつかった。
「ギャーッ!!」
乙女らしからぬ悲鳴だけど、今はそんなのに気を配れない。

蝙蝠なんてものはテレビや映画で見るものだ。
そりゃ、ファンタジー…特に吸血鬼や魔女モノにはつきものだし、こうやって人が襲われるシーンだって見たことあるけど。
だからって自分が体験するなんて思ってなかった。


叫び声を上げながら走る私の頭上を蝙蝠は飛び続けている。
別に危害を加えられてる感じじゃないけれど、やっぱり怖いし気持ち悪い。

なんでこんなに日が短いんだろう。
今だって、暗いから怖いんだよ、絶対。
街灯の明かり程度ではなんの救いにもならない。
むしろ蝙蝠の姿がはっきり見えて逆効果だ。
(そりゃ昼間っからコウモリは飛ばないけどね!)

盛大に舌打ちして、角を曲がる。
ここまで来るのにすでに2つ曲がり角を通って来た。
さすがに息が切れる。

バサバサッ
まだ蝙蝠の襲撃は終わらないらしい。
バザバサバサッ
パタパタッ
ひたすら聞こえる羽音。
鳥のような羽根がないからだろうか。
この黒い集団の翼の音は聞き方によってはバチバチともビタビタとも聞こえる。
それが一層グロテスクで嫌だ。


――ハハハッ

ふいに、場違いな音が混じった。

「え?」
まるで誰かの…若い男の、笑う声。
「誰っ!?」
駆け続けていた足をぐっと力を入れて踏みとどめる。
そのまま反動で向きを変えて私は叫んだ。

近所迷惑?そんなの知らない。

振り返って睨みつけた先は暗闇だった。
時刻もすっかり夜というべき頃だろうけど、その暗さは異常なもので。
(なんだろう…気味が悪い)
自然に、あまりにも自然に、私の中に恐怖が湧いてくる。
湧き出して、あふれて、体が震えてくるくらい。



闇が、澱んでいた。



おかしな表現なのはわかってる。
でも、私の目の前で確かに空気がうごめいていた。
夜の闇の“暗さ”が実体を持ってしまったような、そんな感じだ。
おかしい、そう思った。
あんなにしつこかった蝙蝠がぱたりと騒ぎを収めている。
それどころか私のそばを離れてどこかへ消えていく。

――フハハハ
また、声がする。
それもすぐ、近くで。

ゆらり。
澱んだ闇がゆっくりと形を変えていった。
(…そんな)
私はすんなりと理解した。
自分は今、人間ではないものと対峙している。



「だ…れ…?」
予想以上に震えた自分の声に腹が立つ。
私に前には若い男の姿があった。

若い、といったのはあくまでも外見が20代くらいに見えたから。
そもそもそいつは明らかに日本人とは容姿が異なっている。
茶色い紙と青い目の外人だ。
(外“人”じゃ…ないか…?)


「少なくてもアンタの見方じゃあねえな」
そのくせ、口から出た言葉が驚くほど自然な日本語で、違和感がある。
ミスマッチ過ぎるんだ。


『一族の特権でね。行った先の言語をある程度までは操れる』
出会ってすぐのエマの言葉がよみがえる。
そう、吸血鬼の特権だって話だ。

だとすれば、こいつは吸血鬼なんだろう。
しかもここのとこの一連の流れからして…
(アオノオーケ、ですか…)



まずい展開だ。
どう考えても私に都合が悪すぎる。
どんなことになっても、エマやリゼルに怒られるのは必至だ。
何より無事に帰れるかも定かじゃない。

いやな予感はとりあえず無視。


「わ、私になんの用!?」
「アンタを連れて帰れとのご命令だ」
「誰の?」
「俺の主さ」
ありったけの勇気をふりしぼっって質問した私を、クク、と楽しそうに見やって男は言った。
上からの命に従っているだけで、自分自身はお前に興味はない。
こんな小娘のなにが重要なのか。
そんな、人を馬鹿にしたことをぼやいている。

「さぁ、おとなしく捕まれ」

伸ばされた腕を飛びのけてよけた。
「ふざけないでよ!」
誰がおとなしく捕まるか。
しかも、こんな下っ端っぽいのに!


「名前も名乗んないような奴についてくわけないでしょ!」
もちろん自己紹介された後だって願い下げだけど。

「俺の名前を知ったところで、アンタにゃ関係ない。向こうに行けばアンタは賓客なんだそうだ」
男はニヤリと笑った。
その口元から牙が見える。
つまりこの男は主の迎えた客人とは接点をもてないような立場なわけか。
自分の扱いが低いことを露呈しているにもかかわらず、なぜか楽しそうだ。
言ってることがマイナスだと気付いていないわけでもないらしい。


あぁ、そっか。
私を追い込んでるから楽しいんだ。
吸血鬼が乱を好むのは怪奇小説の定石じゃなかったっけ。



とにかく走ろうと思ったのに、足が出なかった。
「…な…んで」
金縛りにあったみたいに動かない。
まるで私の足じゃないみたいだ。
(いやだ…)
こんな風に体を抑止されてしまったら逃げられない。
人間はこんなに非力なものなのか。


「助けて…」
どうしてこんな目にあうんだろう。
違う。わかってる。
私がエマたちの言うことを聞かなかったからだ。

そうして私は、彼らに迷惑をかけるんだ。



「助けてっ…エマぁ!!」
情けなくって申し訳なかったけど、私の口から出たのは救いを求める声だった。


「エマニエル様はまだお戻りになっていませんよ」
そっとまるで神の声のように降ってきたのは、よく知った口調。
黒髪の少年が、私と男の間に現れた。

「リゼル!」
「まったく、しっかりしてくださいね、カオリさん」
怒られるのは自分なんだから、とぶつくさ言いながら私のことを背に庇う。


「貴様…っ」
「あぁ、そうそうあなた。下っ端だって自覚があるのはいいことですがね」
いきり立つ男を相手に、リゼルは普段と変わらない笑顔で話しかけた。

「でもやっぱり、名前くらいは名乗るべきですよ」
「……」
「それに、仕事は早めに済ませた方が邪魔が入りませんよ?」
「…やかましい!」
一方、相手の方はさっきまでの余裕をなくしていた。
体は油断なく身構えられて、よく見るとその肩はかすかに震えていた。



「カオリさんをさらってどうするつもりだったんですか?」
「俺が言うと思うか」
「言ってもらわないと困るんです」

ひょいと肩をすくめて私を振り返ると、ねぇ?と訊いてくる。
子供の姿そのままの無邪気さで。



「我が主の命に従うまでだ。…俺は主の不利益になることはしない」
「僕はあなたの結界を破って来てるんですよ?」
「…おめおめと帰れるものかぁ!」
リゼルの言葉を無視して、男は飛びかかった。

その瞬発力はさすがに人外のもので、私の目には動きが追えなかった。

「やはり名は名乗るべきですよ。…滅する時にはね」

パシリ
緩やかに上げられた腕が、男をとらえ、動きを封じる。
ふと、その口元に鮮やかな笑みが浮かんだ。

「黒蜥蜴ごときに名乗る名などない!」
「その黒蜥蜴に、サファイアの下賤は手も届かないのですよ」

初めて聞く彼の冷たい言葉に私が驚いていると、
次の瞬間、男が苦痛に顔を歪め、見る間にその姿が灰へと変わっていく。

風に溶け、流れる。
そして、ついにはその場から男の存在は掻き消えていた。



「リ…ゼル?」
状況がつかめない。
なにが起こったのだろうか。
目の前の少年が、一瞬知らない相手に思えた。

「さて、と。カオリさん、送りますね」
私の驚きをよそに、彼は私に振り返る。

「え、あ、私、家に帰っちゃって平気なの?」
また襲われたんじゃたまらない。
「カオリさんのお家にはエマニエル様が結界を施してますから」
「へ?なんでエマが?」

いつ私の家の場所を知ったんだろう。
ホント、いつの間に結界なんて。

「あ、直接やったのは僕ですけど」
「あぁ、さすがストーカー」
「な!違いますよぉ」
なんだかあまりにもいつも通りのやり取りで、拍子抜けしてしまう。
まるで夢の中みたいだ。



その夜、私を無事に家まで送り届けたナイトは、
吸血鬼は昼が苦手なので夜以外の外出は大丈夫なことを告げ、
明日は学校帰りにエマ宅へ寄ることを約束させて去っていった。








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