trasitional phrase 07




外はすっかりと夕闇色。




教科書なんかもすべて詰め込んだラケットバッグを肩にかけ、私は部室を後にした。
「今日は早く終わってよかったー」なんてつぶやきながら歩くと、正門の脇に人の影。
よく見ればそれは…
「リゼル!?」
「お疲れさまです。今はリエッタです」

にこりと笑った少女は、エマの従者だった。


「本当に迎えに来てくれたんだ」
前日、エマの送り迎え作戦でまとまったかに見えた今後の方針は、
本人がひどく嫌がって(失礼な!)いたから却下かと思っていたんだけど。

「初日がいきなり私でごめんなさい。ちょっとエマニエル様を怒らせてしまって」
「…何かしたの?」
ただでさえエマの機嫌は悪そうだったのに。
その上、何をしでかしたのか、この子は。
「いえ?ちょっとカオリさんの学校に噂を流しておいただけですのに」
「……まさか」

HRで担任が、「最近、不審者が出てるらしいから気をつけるようにー」とか言っていたような。
女子生徒を狙ってストーカーまがいに尾行したりしているから、帰り道は注意すること。
特に夕方から夜にかけてが危険だし、これから日が沈む時間も早まるから…
ということで我が女子硬式テニス部もしばらくは練習時間を早めることになったのだ。
大きな大会もないし、基礎トレばかりのこのシーズンの練習が減るのは、部員としてはラッキーなんだけど。

変質者なんてそう珍しくもないのに、今回はやけに厳戒体制だなぁとか。
なんかタイミング良すぎだと思ったら…
(おまえかーっ!!)





数日前の出来事を思い返して、私はため息をついた。

なんだかんだでやっぱり人間じゃないからだろうか、あの従者の行動はどこかぶっ飛んでいる。
PTAを装って電話をかけたらしいが、悪びれた様子はみじんもなかった。
「事実、不審者はいますし」だってさ。
だからって全校生徒を巻き込むのはどうかと思う。


「やはり今日も早かったな」

学校を出て、ちょっと奥まった曲がり角。駐輪場裏のこのスペースは人目につかないから、ここ数日、私たちの待ち合わせ場所となっていた。
「エマ!」
無表情ながらも、フェンスに寄りかかりつつ私のことを待っていてくれる彼の姿がうれしくって仕方ない。
私もこの状況をちゃっかり楽しんでいる手前、リゼルを叱ることもできないんだよね…。


「そういえば、電車通学はやめたのか?」
「え?あー、うん」
だってそんなことしてたらエマと帰れなくなっちゃうじゃんか。
単純に楽しめる程、お気楽な状況じゃないことはわかってるけどさ。
エマの出無精と自分のここ一番の押しの弱さのせいで、
なかなか外に出かけられない私としては、けっこう貴重な時間だったりするんだから。

「どうせ1駅だしね。歩いたって15分くらいだから」
「自転車ならいいんじゃないか?」
「やだよー、こんなに寒いのにチャリなんて」
「だったらバスにすればいいだろう」
「…エマ、私と帰るの嫌なの?」

ちょっとムッとして振り返ると、
「そんなわけないだろう」
と言って私の手からバッグを奪う。

あまりにもさらりと言われてしまったけれど。
(無自覚だからタチ悪いよ)


そんなわけない、らしい。

こうして隣にいることが、彼にとって迷惑じゃない。
たったそれだけのことが、どれだけうれしいか。
この人はちっとも理解していない。


「カオリ、いつもこんなに重いものを持っているのか?」
呆れたようにひそめた眉も、その口ぶりも、いつだって悔しいくらいに普段通りだ。
「今日はまだ軽い方だよー?」
「何を持ち歩いているんだ?一体」
「乙女のプライバシー」
「ふぅん」
「……もうちょっと興味示してよ!」


そう、例えば。
いきなり彼の腕に抱きついたらどうなるんだろう。




たわいもない会話をする私たちの脇で、赤く色づいた街路樹の葉が風に舞う。
ここ数日でめっきり冷えこんで、マフラーが手放せなくなった。
駅に向かわないなら、メインストリートは通らなくて済むので、住宅地や小さな公園の近くが私たちの帰り道となる。
「寒いねー」
「そうか?」
日が落ちれば当然気温も下がるわけで。
指先を擦り合わせた私を横目に、エマは左手をこちらに差し出した。

「ん?」
「手を貸せ」

嫌味な程に美しく白い指が私の右手をとって。
まるで、おとぎ話の王子サマがお姫サマの手をとるような。

(……って…)

「冷たぁっ」
ロマンチックの欠片もなく、私は彼の手を放した。
「尋っ常じゃない冷たさだよ!エマ!」
「オレの体温が低いのは知ってるだろう?」
くく、と喉の奥で笑うと、素知らぬ顔で先を行く。
驚くのわかっててやったな。

「根性わっるーい!!」
「お前は口が悪い」


人は欲張りだ。
出会った頃の無愛想さを思えば、彼との距離は確実に縮んでいる。
だというのに、さらなる変化を望んでしまう。
私は、本当に欲張りだ。



「前よりさらに冷たい気がするけど?」
「あぁ…外が寒いからな」
「…はい?」
「平熱は34℃弱なんだが、オレたちは外気に影響されるから」
もともと人間よりも体温が低いというのに、冬が近づくにつれてさらに下がるという。
それじゃあ、これからもっと冷たくなるっていうのか、この手は。

「変温動物みたいだね」
「近いかもな」
またひとつ、吸血鬼のおかしな特徴を知ってしまった。
「…爬虫類みたい」
「いや、ホ乳類と鳥類以外はみんな、変温動物に含まれるぞ?」

怒られるかと思った言葉は、むしろ間違いを指摘される。
いちいちバカみたいだな、私。


「え…吸血鬼って何類なの?」
「ホ乳類のつもりだが?」
「話が合わないじゃん…」
「…確かに」
当の吸血鬼さんもわからなかったらしい。
謎だ……。



「エマにもわからないこと、あるんだね?」
「当たり前だろう」
ちょっとからかってみようと思って言ったのに、彼の態度は平静そのもの。
面白みが足りないよ。エマ。

「例えば?」
「わからないことだらけだ。…そうだな、例えば」
「んー?」

「どうしてお前がオレに自分の誕生日を告げなかったか、とかか?」


へ?とマヌケな声がもれる。
だってあまりにも突飛だったんだもん。

「リゼルから聞いたぞ。先週だったそうだな?」
「え…あ、うん、まあ」
「ハロウィンを祝いたいなんて騒ぐ前にきちんと言え」
確かにまぁ、私の誕生日は過ぎたばかりだけど。
でも、幸い(なのかどうなのか)10/31なので、一緒に遊んで過ごせればいいかなー、と思ってたし。
ってか言いづらいじゃん。私のバースデー祝ってクダサイ、なんてさ。

「人のは強引に祝ったくせにな」
「…う゛」
彼の誕生日は5月の始めで。
なんとかしてお近づきになりたかった私は、黒いプラスチックリングをプレゼントと称して押し付けた。今思えば我ながらけっこう大胆な女だ。



「…どこか、出かけるか?」
ぽつりともらされた彼からの言葉が、きちんとした意味を持って私の脳に伝わるまでにかなりの時間を要した。

「えぇっ!?」
がばっと音がする程にエマを振り仰ぐ。
「嫌ならいいが」
「い、行くっ!絶っ対行くっっ!!」

これって私への誕生日プレゼントなんだろうか。
だとしたら、うれし過ぎて天まで跳べるくらいの勢いなんだけど。


「あ、でも外なんか行っちゃって大丈夫なの?」
「できたら夕方くらいからの方が助かるんだが」
「うーん…どこでもいいんだけど…うん、この際どっかの墓地とかでも平気だよ!」
「それはオレが嫌だ」
「冗談だよ」
エマと行けるのならどこでも構わないっていうのは確かだけど、いくら私だって進んで人のお墓を見に行きたいわけはない。


「人混みキライだって言ってたよね?」
「あぁ…まぁ、でもお前の好きなところで構わない」
うれしいこと言ってくれるなぁ。
でもそんな風に言われたら、やっぱり彼の苦手なところは避けたいし。



「じゃあ…映画とかでも、いい?」


ベタすぎるって?
放っといてちょうだい。








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