trasitional phrase 08




デートです。
震える指先をなだめすかして、私はそっと呼び鈴に触れた。




遅刻なんてしたらシャレにもならないから、昨日の夜から準備しておいた洋服や小物をバタバタと身につけた。よく考えたら待ち合わせは3時半なんだから、そんなに焦る必要はなかったんだ。

早くからセットしてしまった髪は若干くずれてきているし、メイクだって夕方という時間に合わせてもっと大人っぽくするべきだったか。
普段はナチュラルメイク命だから、アイシャドウなんてブラウンしか使い慣れてないし。
ちょっと気合いを入れたアイカラーが果たして今日の服装に合っているのかもよくわからない。
第一、服装といえばこの服もどうなんだろう。
映画館デートなら可愛らしいスカートだろう!と思って選んだのはいいけど、さてこの素材は季節に合ってるんだろうか。
なんとなく履いてきたブーツも、パンプスの方がかわいかった気がしてきた。
あぁ、そういえばヒールの高いかわいいやつをこの間買ったばっかりじゃないか。
っていうか、初デートは女の子スタイルで、なんて言い出したのは誰だ。
先週立ち読みした雑誌の記事に書いてあったんだっけ?

(ダメだ………帰りたい)
橋本香織。
人生初のデートは人生最大のピンチであります…!



気のせいなのかなんなのか、さっきから痛みっぱなしの胃を押さえつつ、屋敷からの反応を待った。
15:30ジャスト。
訪問宅を訪れる時は待ち合わせの5分前だったか、5分後だったか。
どこかで聞いた大人のマナーは肝心なところが思い出せなくて、仕方なくとった策。
礼儀知らずでごめんなさい。

ガチャ…
そっと開かれるドアの音に、私の肩がびくりと跳ねる。

「時間通りだな…なんて顔してるんだ?」
従者ではなく、主自らのおでむかえ。
そのセリフによっぽどメイクが変だったかと焦る私の頬を、エマの指がむにっと引っ張る。
「いっ、いひゃい!」
「なんだその果たし合いでも挑むような顔は」

なんって失礼なんだ。
このアホ吸血鬼!








「ひっ…うぅっ…エマぁぁー!…」
「……頼むから泣きやんでくれ」

まるでオレが泣かせたみたいじゃないか。
そうつぶやいた彼は、多大な呆れを示しつつも私の頭を撫でた。
「だって…ぅっ…セバスぅー」
「まだ泣くか」

シネマコンプレックスの出口に向かって歩きながら泣き続ける女と、それをなだめる男。
広いホールの中、私たちは無駄に目立っていた。


付き合ってもいない男女が観に行くものとして、コテコテのラブストーリーはさすがに恥ずかしくって、大ブームになってる恋愛映画は却下した。
かといって本物の吸血鬼が隣にいるっていうのに話題の超大作ファンタジーは観る気がしない。(というかコレは公開初日にチェック済み)
アクションもコメディも彼のイメージには合わなくて、大人っぽいロードムービーじゃ私が寝ちゃいそうで…
いろいろ悩んだ結果、仔犬と人間のハートフルストーリーを観ることにした。
捨てられていた仔犬と少年の心温まる内容なら、ほんわかした気分でエマと過ごせると思ったのに。


「セバスが死ぬとか反則でしょー」
予想外の結末に私のマスカラは完全に落ちきっていた。

「とりあえずメイク直してくるっ」
言い残して飛び込んだトイレの鏡には見るも無惨な顔が映る。
(パンダ目っていうのはこういう状態を言うのね)
ここまで行けばいっそ清々するくらいだ。
ポーチの中からメイク落としシートを取り出した。
念のために持ってきていた自分を内心ほめながら、マスカラを落としていく。
手早く化粧直しを済ませ、さて、とエマの待つ方へ戻ろうとして、場所の指定をしなかったことに気がついた。
まぁ、近くにいるだろうしエマのことだからすぐに見つかるんだろうけど。


(えーっと、どこに…)
軽く左右を見回して、あーあ、とため息をついた。
探すまでもない。
通り過ぎる女の人の視線さえ追っていれば、その先には見目麗しい吸血鬼が佇んでいる。
(変装した意味ないんじゃないかなぁ)

今日の彼は普段と違う。
この日本で銀色の髪だとか緑色の目だとかいうのは目立ちすぎるから、という言われてみればその通り、な理由で髪も目も濃い茶色に変わっているんだ。
屋敷のドアを開けたとたん、茶髪のエマが現れたのだからびっくり。
またなんか変な魔法でも使ったのかと思ったら、カラーリングスプレーにカラーコンタクトだって。
現実的すぎて笑ってしまう。
こんな格好できるなら、夏祭りにも行けたのにね。


「ごめん!お待たせ!」
集まる視線の中、エマに声をかけて駆け寄った。
さっきまでは私の涙(と、おそらくは信じられない程のパンダ目)に向けられていたものが、今は全く性質の異なるものに変わっている。
エマの容姿への驚きと憧れ。
その男の連れ、という存在への羨望。
なかなか味わえないような優越感で、エマに笑いかける。

極上の笑み、だと自分では思ったんだけどな。


「セバスへの気持ちは落ち着いたか?」
「……はい。ご迷惑おかけしました」
なんとなくカッコつかない彼の言葉に、おどけて私が頭を下げると、次の瞬間2人して吹き出した。
くすくすと笑い合ううちに、うれしくなってしまって。
「なに、にやけてるんだ」
「えへへー、楽しいなぁと思って」
「なんだそれは」
どこへ行く?と尋ねるエマに、大きく外の通りを指差した。



デートっぽさという点でいえば、ホントは映画館の近くで待ち合わせして、「ごめん待った?」「ううん、今来たトコ」なんていうお決まりフレーズを言いたかったんだけど、もうすぐ日も沈むって時間に外で待ち合わせるなんて彼からお許しが出るはずもなく。
いい加減に私も懲りたから、大人しく彼の屋敷に行ってから二人で出かけることにした。
夕方から観始めた映画が終わる頃には外はすっかり暗くなっていて、海からの風がけっこう冷たい。夏だったらここから海上花火が見えてめちゃめちゃキレイなんだよね。

「さぁーむーいーっ」
コートの前をぐっとつかんで言った。
「お前、最近そればかりだな?」
そう笑うエマは相変わらず平気そうだ。
「寒いもんは寒いのー」
「もっと着込めばいいだろう」

あっさり言ってくれるけどね。
これでもだいぶ考えた末に決めた格好なんですよ。
そもそもエマがさらっとオシャレさんだからいけないんじゃないか。
今日だってさらっとブーツインなんかしちゃってさ。
カッコ良すぎて逆に腹立たしい。
だいたい、本当に寒さを感じない程に着込んだら、大変なことになっちゃうんだから。
「エマだって隣に雪だるまみたいに着ぶくれた女がいたらヤでしょー」
「…へぇ」
「……なによ、その“今も大して変わらない”みたいな顔はーっ!!」

吸血鬼とはいえ、そこはやっぱり王族だから、エスコートとかはすごい上手いしきちんとしてるんだけど。
どうも言い方が悪いんだよね、この人。
それも、わざとやってるんだからタチが悪い。
(いつからそんなS男になったんだ、エマーっ!)

「ほら」
「え?」
心の中で叫んでいると、目の前にマフラーが差し出されていた。
「なにを百面相しているか知らないが、ないよりマシだろう」
「え、でもエマは大丈夫なの?」
「カオリが風邪をひくよりはいい」

ズルイなぁ、と思う。
結局は優しいんだから。

「…ありがとう」
黒いマフラーをかけてもらってお礼を言うと、エマもうっすらと微笑んだ。
それだけの仕草で、私の機嫌なんかすぐに直っちゃうんだもん。
しょうがないからS男っていうのは撤回してあげよう。




「まだ食事には早いか?」
ショッピングビルが立ち並ぶ大通りの1本脇で、エマは足を止めた。

「うーん、エマお腹すいてる?」
「いやオレは食事をとらなくても平気だし、お前しだいだよ」
言われてから思い当たる。
そんな話、前にも聞いたっけ。
「ちょっと早いけど、あんまりピーク時に入りたくないし」
「土曜日だしな」
「うん。絶対混むと思うんだよね」
イベントシーズンじゃないから予約取ったりしてないし。
だからってファーストフードで済ますのは寂しすぎる。

「じゃあ、あそこの看板で見てくるよ」
今いるところから見える位置に、近くのビルに入っているレストランの紹介パネルがあった。
かなりの店舗が入っているようで、けっこう選択肢がありそうだ。
グルメフロアみたいに作られているのかも。

「エマは何でもいいの?」
「あぁ、任せた」
「了ー解!じゃあここで待ってて」


とりあえずあんまりがっつり系じゃなくて。
で、できるだけキレイに食べれるようなもので。
値段…はエマが払うとか言いそうだから、そんなに高くないとこにしておこう。
いや、別におごらせるつもりじゃないけどね!

一応、かわいらしく食事が済ませられるように。
ご飯なんてエマの屋敷で何度も食べてるけどさ。
そこはほら、乙女心ってもので。


どこが一番いい選択か、あとで後悔しないように、と食い入るように看板を見つめる私。
(端から見たら ただの食いしん坊なんじゃ…)
浮かんできた考えを振り払う。
さっさと決めてエマのところに戻ろう。


ふ、と背後に気配を感じた。


「あー、待ってエマ、今2つで悩んでんの」
創作和食とイタリアンどっちが好き?
振り返ろうとした首が、意思に反して止まる。
「…え?」
さぁぁっと全身に鳥肌が立って。
なにが起きているのかなんて全然わからないのに、本能的なものなのか、体が震える。

首筋にス、と誰かの冷たい手が触れた。



「カオリっ!!」
「王よ、大事なものは、手放さないようにされてはいかがです?」


やけに切迫したエマの声と、背後からの聞き慣れない冷ややかな響き。
自分は一体どうしたのか、この手と声が誰のものなのか。

それらを確認するより早く、
トン、という軽い衝撃と共に私の意識は途切れてしまった――…








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