trasitional phrase 09




何時間たったのかわからない。
まず目に飛びこんできたのは派手なネオンの看板。
白地に青の文字、黄に赤、首を巡らせていくうちに、それが日頃電車の窓から見ているものと同じだということに気づく。 ただちょっと、普段と角度が違うだけ。
顔を上げると、どんよりと雲が広がる夜空が見えた。
(…屋上…?)
夜はすっかり更けてしまっているみたいだ。
私の勘が正しければ、ここはさっきまでエマと歩いていた場所からそう遠くない、
というか道を2、3本移動したくらいの位置だろう。 駅前のビル群の、あるいはショッピングビルやその周辺の店の、屋上。


どうしてこんなことになったのか。
思い返してみようともう一度、顔を正面に向けて…ばちり、と目が合った。
「なんだ、もう起きたんだ?」
ニッと口元を上げて言う姿は好青年そのものだけど、どう考えてもそんないいものじゃない。
この状況でこの場に居合わせるなんて、行き着く答えはひとつしかないわけで。
女子高生がたった一人でこんなとこに転がってた理由、普通だったらいぶかしむでしょ。

意思の強そうな瞳。
上から下まで真っ黒な服装。
夜空に溶けこんでしまいそうな黒髪の中で、白い肌だけが浮き上がって見える。
透き通るような、って形容はこの場合あんまり誉めてはいない。
なんていうか、そう、どこか幽霊的な。
いかにも「自分は人間じゃありませんよー」って主張してるような気味の悪さがある。

「タフだねー」
「…人に手刀くらわせといて何言ってんのよ」
「……誰?」
「俺?俺はマチルダ」
超絶美形としか言いようがない、つまりはエマと張り合える程の美形なんだけど。
あれだよね。口調が軽い。
ってかケーハク。
「なんのつもりよ?」
「何が?」
なにが、じゃないっつの。

「人のデートの邪魔して、女の子に容赦なく手刀ふるって、あげくこんなとこに拉致ってきたことに決まってんでしょ!?」

きつく睨んでみても、効果はない。
わかっていても悔しい。

「あー、うん。痛かった?ゴメンゴメン」
むかつく。
こいつ、すんっごいむかつく!
犯人はお前だと決めつける私の言葉も、さらっと軽く受け流された。
デートだったのに!
初デートだったのにぃーっっ!!

なんなんだ。この男は。
かっこよければ全て許されると思ったら大間違いなんだから。
私は一層、目の前の黒づくめを睨みつけた。
こいつの目的はなんだろう?
エマのことを知ってたんだから…彼に危害を加えたいんだろうか。だとすれば。
「私、人質なの?」
「まぁうん、そうなるね」
おいおい、明かしちゃっていいの?
あっさりと答える男に、私はどこまで信用できるのかわからなくなった。
こういう時って、あんまり人質に自分が人質であることを言ったりしないでしょ。
もし人質に自殺とかされたら意味ないもんね。

(…私、自殺する勇気すらないと思われてる?)
あながち否定できないとこが笑えない。
残念ながらそこまで根性すわってないので、生きのびるようにあがいてしまいそうだ。
「…私を拐っても、エマは来ないかもよ?」
試しに言ってみたけれど、そんなことはないってわかっていた。
きっと、彼は来るだろう。
ほんの何日か前までは確かに確信はなかった。
助けに来てくれるか、疑わしかったんだ。

だって、さ。
毎日会ってるのは私が勝手に家まで押しかけてるからだし、花火とかだって全部私が計画して。
私はとことんエマが好きだったけど、彼がそうであるとは限らないじゃん。
よくて友達、悪くて…知り合い?
(残念だけど、あの吸血鬼は真顔で「知人」とかって言い捨てる気がする)
そんな関係の人間が敵に捕まったところで、危険を冒してまで助けに来てくれるか。
そこのところがずっと、私には曖昧だった…んだ、けど。
なーんか最近エマってば優しいし。
今日だって言い出したのはエマだしね。
これはやっぱり、ちょっと「友達」くらいの扱いは受けてるんじゃないかな、と。
(本音はもうちょっと上のランクがいいけど!)
だとしたらね。
あのエマのこと、友人が危険な目にあってたら、すっ飛んできてくれると思うんだよね。

「なにニヤニヤしてんのー?」
「…えっ!ぅ、うわぁっ!」
考えこんでいた私に、鼻の先が触れそうな距離で、男が笑う。
ニヤニヤなんてしてない!と怒鳴ってみても、迫力なんてないってわかってるけど。
しまった。つい、口元が。

「キミその態度、助けに来るって言ってるようなもんじゃない」
「…どこがよ」
「ジェイドの王が来ないなら、もっと焦るだろ」
こともなげに言ってのける。
言われた私も、もうちょっと慌てるとかすればいいんだろうけど、これがもう、びっくりするくらいに落ちついてしまっていて。
ここまで行くと、敵も立場ないだろうってくらい。
「なんで私、こんな冷静なのかなぁ?」
「俺に訊かれてもなぁ」
思ったままを口にした私に、男は今度は呆れたように笑った。
私があまり危機感をもってないのは、こいつが脅したりしてこないから、っていうのも大きいだろう。
人ではあらざる者独特の違和感はあるものの、おかしな程に敵意が感じられないのだ。
やる気がない、って言ってしまえばそれまでなんだけど。軽薄だしね、こいつ。
「あんたの目的は何?」
こうしてどこかの屋上に連れて来られてはいるけど、どうも地理的に遠くへ運ばれたってわけじゃなさそうだし。
第一、私は両手足ともに自由で、よくある刑事ドラマみたいに拘束されてるってわけでもない。

「目的?んー…興味本位?」
「は?」
「いや、だってジェイドの王が入れ込んでる女だよ?見てみたいじゃん!」

いやいやいやいや!
え?ミーハー!?どうしようこいつ私と同じニオイがするんですけど!(ダメじゃん)
何言い出すのよ。それに、だって。
「私エマに入れ込まれてんの!?」
「えぇ!?自覚ないの!?」


おかしい。いったん状況を整理しよう。
どう考えても誘拐犯と人質の会話じゃない。
私はデート中に拉致られてきて、どこだかわかんない屋上にいて、目の前にはこのケーハク男がいて。 どうやら私を“見る”のが、その目的…で?
おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい。
だって私、さ。
入れ込まれてるなんて表現が当てはまるほど、私とエマってラブい感じ…でしたか?

「なんかの間違いじゃないのー?私とエマはそんなんじゃないって」
「そっちこそ勘違いしてるんじゃない?あのね、あの方は王サマなんだヨ?」

頬を思いっきり引きつらせながら私がつっこむと、マチルダはいかにも呆れてます!って顔でため息をついた。
「人間のキミにはわかんないかもしれないけど、吸血鬼ってケッコー大変なの。あのね、誰が好きこのんで無力で無能な人間なんて連れ歩くかっての」
なんていうの。香織さんカチーンときちゃいましたけど。
無力って何さ、無能って何さ。
吸血鬼が人間をどういう風に見てるのか、改めて突きつけられた気がする。
だって私、今の今まで、こんなこと言われたことない。
そうだ。エマはこれまで一度でも、私のドジっぷりを笑いこそすれ、侮蔑したことはなかったから。

「あんたなんかに無能呼ばわりされたくない」
「あーのね、こうやって捕まってるってこと忘れてんなよ?」
それに、俺が言ってるのはそんなことじゃない。
そう言って男は私に向かってニッと笑った。
「捕らえられてるのが憎からず思ってる女だなんて、シカトもできないじゃんか。こういう状況、わかる?まさにキミは…」
「足手まといって、言いたいのね?」
私の言葉にマチルダはそれは楽しそうな笑い声を上げて、よくわかってるじゃん、とのたまった。

でも、ね。
こいつは私の性格をわかってない。
“足手まとい”だなんて。近頃私の中で堂々ワースト1位に輝く言葉じゃないの。
この数ヶ月で私がどれだけヘマ踏んでると思ってるのよ。
これ以上、エマに迷惑かけるだなんて。
マチルダの笑い混じりの言葉は、私を崖っぷちに追い詰めるには十分すぎた。
ごめんね、エマ。

すく、とその場に立ち上がる。
紐も何も拘束されていない身体はすんなりということを聞いた。
表情すら変えず、私はマチルダの前をすり抜け、歩き出した。
「あ、逃げようったってドア開かない造りになってるからムダだよ」
「そんなことしないけど?」


「っうわ!ちょっとあんたなにやってんの!」
「るっさい!それ以上寄んなっ!!」
(私、追い詰められるとキレちゃうタイプなんだよね!)
ドアなんて開けないわよ。いくら軽いからってそこまでこの吸血鬼をなめてるわけじゃない。
そう、ただ。ここからふいっと飛び降りるまで。
「バカ!死ぬ気か!?」
「んなわけないでしょ!そっちこそ馬鹿じゃないの!?」
エマが来てくれるかもしれないのに。
そんな簡単に私が、生をあきらめられるか。

だけど、それでも。
私は自力で逃げ出す努力をしなければいけない。

「このままのほほんと待ってたら、ほんとにエマが来ちゃうじゃない!」
「オヒメサマはオウジサマを待ってりゃいいの!」
だからそんな駄々っ子みたいなこと言わないでよ、とマチルダは思いっきり眉を下げた。
ざまぁみろ。
この男の目的はどうやらホントに私に危害を加えるものではなかったらしい。
私が死んだら計画に狂いでも生じるんだろうか、とにかく慌てふためいている。
「あーのね」
ついさっきのマチルダの口調をなぞってみる。
「今時のジョシコーセーなめんじゃないわよ。オヒメサマなんて、くそくらえ」
私は、エマと生きたいだけ。
オウジサマなんて知らない。
私が知ってるのは、キザで偏屈で、飛びきり優しい吸血鬼だけ。

隣のビルまで、飛び移れない距離じゃない。
…たっぷりの助走距離と心の余裕があれば、の話だけど。
さすがにここは地上数十メートル。
ちょぉっとミスったらシャレになんないけどね。
「ちょ、待っ…え!本気なの!?」
ふふんと不適に笑う私とは反対に、マチルダは泣きそうな顔を浮かべてる。
すっごい胸がすくんですけど。
(いやいや、まさか飛びません。飛びませんって!)
一瞬カチーンとは来たけど、そんなことはしませんよ。
さすがの私も、映画みたいにいかないってわかってるし。
じゃあ何する気か、って。
とくに策があるわけじゃないけど、とにかくこの男の思惑通りにコトが進むのは悔しいじゃない。
せめてエマが来たときに「ああ、こいつなりに足掻いてたんだな」って思ってもらえるように。
きっと彼は助けに来てくれるから。
それまで、少しでもこいつを混乱させて、ペースを乱して。

「行きますか!」
「行くなって!!」
マチルダが本気の顔してこっちに飛び出してるから、行けるタイミングとしては、今だけ。

ぐ、と足を踏み出して。さあ、飛び下りるポーズを。
さぁ見ろマチルダ。慌てろ慌てろ!
さんざんになった初デートの仕返しに、にやりとマチルダを見やっ…て、
「ぅわっっ、きゃぁ!」
まさかのタイミングで、足首がぐねりと右に傾いだ。
右って……え、…外?
「――っっ!!!」
おちるおちるオチルおちる堕ちるおちるおちる
――落ちるっ!

 
ふわりと身体が浮き上がった。
私が跳び上がったわけでは、もちろんない。
ギュッとつぶった目を恐る恐る開くと、
見知った、聞き馴染んだ、しかも待ち望んだ、大好きな、声。瞳。銀髪。
「無鉄砲も大概にしておけ」
「……え、ま?」

そのまま私をお姫さま抱っこ、かと思いきや、視界が反転して、頭ががくりと下がる。
いつもの紳士的な態度からは考えられないほど、荒っぽく肩に担ぎ上げられた。
(怒ってます…よねー)
「え、エマ…あの……」
「しばらく黙っていろ」

ごめんね、って言いたかっただけなのに。








back | content | next