第一章 一
あぁ、空気がきれいだな。
それがこの街に越してきた時の朋夏の感想だった。
杜の都、仙台。
東京育ちの彼女には新鮮な空気に感じられたが、人口100万近い大都市である。
仙台市の学生マンションに越してきたのは3月の始め頃。
18年間過ごしてきた家や街並みとの別れは寂しかったが、近頃はさすがに慣れた。
地方出身者が通う大学は、なにも首都圏にばかりあるわけではない。
セキュリティー設備の費用などは大学が管理するこのマンションには住み慣れた土地から離れた者たちが集まっている。
同じような生活の学生が近くにいるのは心強い反面、マンションというしきりで地域住民と地方学生が分断されてしまいがちなのも事実だ。
地元のご近所さんと仲良くなろう!と意気込んできた朋夏にとっては少しばかり物足りない。
朋夏が一人暮らしをしているのは、大学に通うためである。
彼女はこの春、この街の大学に入学した。
理由のひとつが、『伊達政宗』。
朋夏の歴史好きはかれこれ十年来のもので、戦国武将のドラマに目を輝かせる娘の姿に、母はため息をついたという。
彼女が政宗とその家臣たちのファンになったのはいつからだったか。
きっかけも正確な時期も定かではない。
それでも部屋には多くの文献やガイドブックがあふれていた。
そのどれもが、彼女自身の手で買い集められたものだ。
周りの友達が芸能人に熱を上げるのと大差ない、と朋夏は思っていた。
その方向性が違うだけだ、と。
要するに。重度の歴史オタクである。
うん、と朋夏は伸びをした。
大学生の長い夏休みももうすぐ終わる。9月に入って、風も少し秋らしくなった。
「さぁて、メインイベント!」
小さくつぶやくと、つい口元が緩んでしまう。
今日は学科の友人と二人で買い物に来た。
この日の目的はそれぞれの彼氏へのプレゼント選びだったため、半日かかってしまった。
友人の彼氏は来週が誕生日。そのお供を命じられた朋夏は、再来週に3ヶ月を迎える自分たちカップルのためのプレゼントを買うことにして。
その後レストランに長く居座って、バイトだという友人と別れて、今に至る。
さんざん楽しんだ上でのこの発言。
彼女の目の前には、復元された仙台城の隅櫓があった。
仙台城。青葉城とも言うこの城は、慶長5年、関ケ原の戦の直後に築城が始められ、家康へ遠慮する意味から天守閣を設けなかったといわれているが、天守閣など設けないでも城下の様子は見渡せたことであろう。
自然の段丘そのものを活かしてつくりあげられた政宗壮年期の居城である。
仙台といえば頭に浮かぶ政宗の騎馬像も天守台と呼ばれる広場にある。
当時の面影を伝えるものはほとんどないが、仙台の有名観光スポットだ。
政宗好きならまず頭に浮かぶこの城に、彼女は初めてひとりで訪れた。
こちらに越してきて以来、初めての仙台城だった。
以前家族で仙台旅行をして、観光のメインスポットはあらかた見てきていたので、もっぱらコアな史跡ばかりめぐってたのだ。
この城も、家族で来た。
せっかく仙台駅の近くで買い物するし、行ってみようかな…
そう思ったのは、彼女の中で気持ちの整理ができてきたからだったのかもしれない。
ぞくり、とする。
政宗関連の史跡を訪れるといつもそうだ。
他の史跡に行っても普通なんだけどな。
少しばかり不思議に感じつつも、朋夏はうれしそうに足を踏み出した。
コレも愛ゆえ、よねぇ。
満足げにそう自己完結をして。
笑みを深くして隅櫓に近づこうとした途端、朋夏の世界がぐらりと揺れた。
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