第一章 三


「えっと……あなた達は…?」


突然大声で呼びかけられて、朋夏はぽかんと相手を見つめ返した。
他の二人と同じく着物姿で高慢な態度をとっているが、この男は確かに『トモ』と言った。
どうして自分の愛称を知っているのだろう。

「阿呆のような顔をするな。よもや俺の名を忘れたわけではあるまい?」
「……はい?」
自分の知り合いではないはずだ。
なおも瞬きを繰り返す朋夏に、目の前の青年は、冗談だろうとでも言いたげに顔を近づけた。
彼の右目が眼帯に覆われているので、よけいに威圧感がある。

「伊達藤次郎政宗。知らぬとは言わせぬ」





(信じられない!!!)
伊達政宗。
弱冠23歳にして奥州の覇者となり、関ヶ原の戦の後はあの家康も一目おいたという戦国の雄将。
朋夏の愛してやまない彼が、今、目の前にいるという。
「政宗ぇ!!?」
「なんだ、覚えておったではないか」
政宗(と名乗った男)は悠然と笑っているが、朋夏としてはそんな状況ではない。



なんなの、これは。
茶番劇?
いや、私が政宗マニアだって知ってるわけないし!
第一、周囲の様子の変化からいってもここは私の知ってる仙台じゃない。だからといってここが戦国だとは言い切れないけど。

あぁ、そうか夢だ。これは夢なんだ。
さっきのはやっぱり地震で、私はもうじき死ぬんだ。
きっとこれは走馬灯みたいなやつで。
そうか、神様、最期に私の夢を叶えてくれたのね。
政宗に会いたいって夢を。

良かった。これで、みんなに会える。




「神様っているんですね?」
「莫迦か」



混乱のあまり勝手に自己完結して、しかも相手に意味不明の同意を求めてしまった朋夏は、政宗から痛烈な、しかし至極真っ当な言葉を投げられた。
どうやら慌てているのは自分だけらしい。

先程まで喚きたてていた小姓らしき少年も、事態を理解したのか、端の方で縮こまっている。
いつの間にか青年から何かを耳打ちされたようだ。
しかし、いくら周りが落ちついていようと、状況が読めないことに変わりはない。




「…小十郎、こいつは一体どうしたんだ?」
一向に自分が思う反応を返してこない朋夏に、政宗が異状を察した。
ふいと朋夏から視線を外すと、傍らの青年に声をかける。

「……は」
「は、ではわからん」
「よもや…嫌な予感が致しますね」

今ひとつはっきりしない態度の従臣に、政宗は目でどうにかしろ、と訴える。
それに対して瞑目してみせると、彼は静かに朋夏に近づいた。

「ご自分の、今の状況がわかっておいでですか?」
「…いえ。…え、っと…?」
「片倉景綱と申します。…覚えていらっしゃらないようですね」
朋夏の方を痛ましげに見つめて、それから景綱は主を振り返った。

さら、と涼やかな風が抜けていく。



「政宗様、朋夏様は…以前のご記憶を失くしてしまわれたのでは…?」
「なに?」



「ちょっと待って下さい!」
自分が理解できていないうちに、彼らの間では、話が進んでしまったらしい。
当然、言われた方の朋夏としてはそう簡単に認めるわけにはいかない。

「私、ちゃんと記憶あります!」

仙台城を見に行ったこと。友人と買物をしたこと。大学での生活。受験期の苦労。
そして、家族の死。
全てが朋夏の記憶の中に残っている。
その記憶を否定されてしまっては、朋夏のこれまではどうなるのか。
あんなに泣いて、笑って、生きてきた18年間を、そんな風に勝手に記憶喪失などという言葉で消されてしまったのではたまらない。





「違う、トモ。そうではない」
血相を変えて食ってかかる朋夏をなだめるように、政宗はぽん、と頭を撫でた。


「…え?」
「お前にとってここは、初めての土地か?俺は初めて会う男か?」

先程までの偉そうな態度はどこへやら、政宗は優しい目をして朋夏を見ていた。
はじめてか?そう聞かれれば、Yesと答えるより他はない。
朋夏はこんなに自然に溢れた土地へは旅行ですら来た覚えがないし、
当然、目の前の彼とも初めて会った。


「えぇ…」
「…やはり」
「あぁ、小十郎。お前の考えどおりのようだ」
ふぅ、とため息をついて政宗は再び朋夏に訊いた。



「トモ、俺と、初めて会ったのだな?」
「だから…!」
「俺は違うぞ」
何度も言わせるな、と怒ろうとしたところを遮られた。

「そこにいる小十郎も違う。俺達はな、以前も二度、こうして会って言葉を交わしている」

信じられない言葉を聞いた。
それは朋夏にとって、ダテマサムネ・カタクラコジューローという名前を聞いたことよりも遥かに驚愕させられる内容だった。




「ど…いう…こ、と?」
「あなた様は10年前、そして4年前と二度、この地でわたし達とお過ごしになられたのですよ」


くらりと眩暈がする。
いっそのこと気絶できたのなら、これが夢だと思えたのかもしれない。
しかし辺りの景色は鮮明で、事態を説明しようとする二人の眼差しがあまりにも真摯だから、嘘だと詰ることもできない。
「とにかく、俺達と共に城へ来い」
「城って‥?」
「米沢だ。今日は少し散歩をしていただけだからな。すぐ近くだ」


米沢、か。
そうか、そうだよね。
だって政宗がこんなに若いんだもん。

収拾のつかない頭の端で、そこだけ妙に納得できた。
米沢城は政宗が生まれたところ。20代前半まで暮らし、一時は黒川城に移ったものの、
結局は天正18年(1590年)に秀吉に召し上げられるまで住まうことになる。
ちなみに黒川城とは会津若松城の別名だ。


これ程、自分が政宗ファンであるということを喜ばしく思ったことはない。
こんな状況下でもかろうじて冷静でいられるのだから。

自分はこの地で起きる歴史の一部始終を知っている。
伊達政宗関係であれば史学科の同級生たちにも負ける気がしない。
朋夏の偏った知識については友人たちも呆れるばかりだ。
何があろうと、自分には危険を回避することができる。
その気持ちが朋夏の心をさらに落ち着かせた。




「参りましょう。朋夏様」

その場に立ちつくす朋夏に差し出された手。
ためらいがちに掴むと、それはとてもあたたかくて、涙がこぼれそうになる。
これには朋夏本人が驚いた。
こんなにも今、自分の精神は参っているのか。
それともこの優男の持つ穏やかな雰囲気のせいか。


「城に着いたら、朋夏様のお召しものを用意させましょう」
朋夏の手を引いたまま、景綱は前を行く政宗に声をかけた。
「そうだな。その格好では目立ちすぎる」



ジーパン、カットソー、それにストール。足元はパンプス。
戦国時代の空の下、朋夏の服装はあまりにも浮いていた。







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