第一章 四


胸元が苦しい。
やはり着慣れないものは大変だな、と朋夏は改めて思っていた。



原っぱから米沢城内へと連れて来られるなり、すぐに着替えろという。

一人で着物は着られないだろうとの判断で2人の女性が付けられたのだが、朋夏が来ている洋服、下着、全てに驚き、興味を示すのでかなりの時間を要した。

未来から来たという紹介はされておらず、したところで理解されないだろうと思ったので、朋夏自身もあえて何も言わなかった。
どこから来たのか、という問い掛けには遠方からとだけ伝えておいた。

「政宗様おゆかりの方とお聞き致しましたが」


そんなことは朋夏が知りたい。





(あの人たちの態度の方が自然だよねぇ)
朋夏はため息をついた。
突如現れた大学生を前に、旧友だと信じて疑わないなんて。


今、自分は他よりも大きな造りの部屋にいる。
どうやら政宗の居室らしい。
普段の洋服はもちろんのこと、着慣れた道着ですらここまでは締め付けない。
慣れない帯の窮屈さに辟易していた。



「どうした?トモ。ため息をついて」

誰のせいだ、と言いたいのを我慢して、部屋の主を見やった。

自身も外出用の着物から着替えた政宗はにやりと笑っていて。
朋夏の戸惑いは気付いていて、しかもその状況を楽しんでいるようだ。
(…性格わっるいなぁ)
自分が抱いてきた伊達政宗のイメージとは少しばかり違うのか。


城まで手を引いてくれた景綱と、後ろについていた小姓はいない。
代わりに、政宗の横には打掛をまとった女性が座していた。



「めご、トモと会うのも久しいだろう」
「えぇ、本当に…」
彼女はふわりと微笑んだ。
「えっ…め、愛姫!?」
和やかに会話する二人に朋夏はまたしても驚かされた。


愛姫、とは政宗の正室だ。
田村清顕の一人娘で、その愛らしさから“めご”と名付けられたという。
伊達家と婚姻関係を結ぶことで芦名・佐竹両氏に対抗し、一族の存続を計った。
政略結婚ながらも夫婦仲は順調だったと伝わっている。

よっぽど美人だったんだろうなぁ、とは朋夏も思っていた。
もちろん勝手なイメージだ。



「政宗様…トモ様は本当に昔のこと…」
「らしいな。まぁ、そのうち思い出すだろう」

彼らの中では朋夏が記憶喪失だということで落ちついたようだ。
いまいち納得がいかないが、今現在、一番説得力のある説なのだから仕方ない。
そうでなければ4年前の朋夏と彼らが会っているということが説明できなくなってしまう。


「きっとこれが…私たちを導いてくださいますわ」
そう言って微笑んだ愛姫の手には根付がひとつ握られていた。
白珊瑚を花の形に彫り込んだもので、
紐と珊瑚玉とをつなぐ金属はこの時代のものとは思えない。


彼らの言う“トモ”と自分は人違いなのではないか。
真っ先に浮かんだ考えは、この根付を見せられた段階で消えた。
というのもこれは朋夏が母方の祖母から譲り受けた形見のひとつで、いつの間にか紛失していたものだ。
祖母が生前使い込んでいたものなので紐は色褪せてすれてしまっているし、細かな傷や色味も見覚えがある。

4年前、朋夏が愛姫に渡したものだという。
『また来るから、そのときに返して』と言い置いて。


非現実的な話だが、それに納得するしかないのだと朋夏は諦めつつあった。



愛姫の笑顔は花がほころぶようで、やわらかく、あたたかい。
同性から見ても可愛らしく、自分と1つ違いとは思えないほどに、幼さの残った顔立ちをしている。
しとやかなお姫様、といった容貌は朋夏のもつ愛姫像そのものでなんだかうれしくなった。




「あの、愛姫様…?」
「おいトモ。お前、俺のことは呼び捨てにするくせにめごは様付けなのか?」

仲良くなりたい、という純粋な思いから声をかけたのに、政宗が割り込んできた。

「なによ。政宗がそうしろって言ったんじゃない」


先ほど政宗本人に
「お前に“政宗様”などといわれたら背筋が寒くなるわ」
と言われたので、彼の希望どおりに呼び捨てている。

(一応、時期当主サマだから気を使ってあげたのに!)
聞けばちょうど同い年だと言うので、
原っぱから城までの道筋ですっかり二人は打ち解けてしまった。


もちろんこの態度が気に食わないなら、政宗が一言命じれば済む。
身よりもない朋夏など、あっという間に消されてしまうだろう。
それでも許されていると言うことは、過去に朋夏と彼らは相当に親密であったということで、一体全体どういう流れでそうなったのか、今の朋夏には謎でしかない。




「私に対して“様”も敬語も要りませんわ。トモ様は私の姉様のような方ですもの」

ずいぶんと朋夏を慕った様子で、しかし自身は彼女に対する敬語はやめようともせずに愛姫は言った。彼女にとって敬語は身分がどうこうと言うよりも行儀作法として染み付いてしまったものなのかもしれない。
(お姫さまらしいオヒメサマ、なのかな)


「んー…じゃ、なんて呼べばいい?…あ、ううん。なんて、呼んでた?」
「今のトモ様がお決めくださいな」
「え?……えぇ〜…」

急に言われて朋夏は悩んだ。
しかし悩んだところですぐに言い呼び名が浮かぶわけもなく、

「めご…ちゃん?」

「まぁ!」
「なんだ、覚えているじゃないか」
なんのひねりもなく言ったのに愛姫も政宗も驚きの表情を浮かべた。
「えっ?」
「以前もトモ様は私をそう呼んでくださいました。でも…」
「めごを覚えていた、というわけではなさそうだな」
「あ…うん。ごめん」
「いやですわ。謝らないで下さいませ。
 めごは嬉しゅうございますよ、トモ様にまたそう呼んでいただけて」

朋夏の頭に浮かんだ名は本当に偶然だ。
けれどそのせいで、一瞬でも目の前の少女に期待を持たせてしまった。
仕方のないことだとはいえ、朋夏はそのことを歯がゆく感じた。





「政宗様!どうして俺に声をかけないんだ!」

スパァァーンッ

少しずつ打ち解けて、朋夏たちが談笑をしていたところ、襖が驚くべき勢いで開けられた。
そこに立っていたのは政宗と同じ年頃の男がひとり。
「五郎!?」
「…ゴロウ??」
身を乗り出す政宗に、朋夏は慌てて振り返った。
今日一日でどれだけ驚けばいいのだろう。


この年代に、政宗が“ゴロウ”と呼ぶとは…
「伊達藤五郎成実!?」
「いかにも!トモちゃん、久しぶり!」
にか、と笑う姿に覚えはない。
ただわかることは、彼も自分のことを知っている一人だということ。

(私ってば、どれだけ知り合い多いのよ!)



伊達成実は母方をたどれば政宗と従兄弟、父方をたどると政宗の父、輝宗と従兄弟にあたる。
幼いときから政宗に仕えていて、彼の武勇を謳う史料は多い。
また『成実記』の著者でもあり、この史料は政宗の一代記として非常に重要なものなので、当然朋夏も何度も目にしている。
伊達三傑の一人で、朋夏が会えるものなら会いたいと願った人物である。



「五郎、耳が早いな。もうトモのことを聞きつけたか」
「今そこで景綱殿に会ってな。…で、記憶がないんだって?」
「…お前、少しも危機感は抱かないんだな」
「なぁに、俺のことくらいすぐに思い出す」

どこからそんな自信が湧いてくるのだろうか。
あっけらかんとした彼の態度に朋夏は唖然とした。
武勇名高い猛将は、肝が据わっているというか、なんというか。

「トモちゃん、…って、あ、俺はそう呼んでたんだけどね。やっぱり俺のことは覚えてないよね?」
「え、あ、はい。あの…ごめんなさい」
「忘れちゃったものはしょうがないでしょ。俺のことは“トウゴ”って呼んで」
「トウ…ゴ?」
「そう。昔みたいにね!」



(昔…って)
あの伊達成実のことを、トウゴと呼ぶなんて。

4年前と言えば朋夏は中3だ。
いくら年が近くとけ込めやすかったとはいえ、なんと怖いもの知らずな態度だろう。
これ以上ここにいると、信じられない自分の過去がどんどん露呈する気がする。
そのことはものすごく怖いが、同時にとても興味が湧く。
夢見た時代に、憧れ続けた人物たちと自分が接点があったなんて。

こんなことは、現代で歴史を研究していても到底経験できない。




「トモちゃん、君とはいくつか約束があったんだよ」
「え?」
そう言われても今の朋夏には何もできないけれど。

「思い出したら一つずつこなしていこうね」
「この珊瑚をお返しするのも、もう少し後にいたしますね」
だから早く、以前のように笑い合おうと二人は言った。
そんな二人と朋夏を見ながら政宗は穏やかに笑っている。




同情でも哀れみでもない。
ましてひやかしなどではもちろん、ない。
この城には自分を心から心配して、そして自分の記憶が戻るのを待ち望んでくれている人々がいる。


一日でも早く、記憶を取り戻したい。

自分の中にごく自然にその感情が湧いてきたことが朋夏にはひどく意外で、
(あぁ…でも、なんかうれしいなぁ…)
それでいてとても安心できるものだった。



久々に人との絆に触れたような。
こんな気持ちは、家族を失ってから数えるほどしかない。


頑張ろう。
ここでやれることを探していこう。

朋夏の中でひとつの決意が生まれた瞬間だった。







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