第一章 五
城へ来て数時間。
歓迎ぶりはあたたかく、日が落ちる頃には朋夏の心もすっかり和んでいた。
政宗の居室で開かれたささやかな宴。
出された酒で酔いつぶれてしまった愛姫を支えて、朋夏は部屋を辞した。
しばらく男2人で呑みかわしていた政宗と成実であったが、用意していた酒が切れたところでさらりとお開きとなった。
米沢の秋は早い。
うっすらと肌寒い夜風が外を舞う。
部屋には今、政宗ひとり。
脇息に体を預け、小さく息をついた。
そこへふいに、人の気配がした。
「殿」
襖の向こうから呼ばう声がする。
よく知った声だ。
「遅かったな、小十郎」
中に入るよう促すと、従者の顔を見るなり、またため息をついた。
夜も更けてから呼びつけられて、あげく自分の顔を見て残念そうな息をつく主を、景綱は怪訝に見つめた。
「堅い奴だとは思っていたが…小十郎、お前はつまらぬ奴だな」
酒を呑んでいた気配など微塵も浮かべずに、政宗はそう言った。
「は?」
政宗が生まれて間もないうちに、景綱は政宗の父である輝宗から、その側に仕えることを命ぜられた。
幼少の頃からずっと、苦楽を共にし、成長を見つめ続けた主君である。
彼の強引な性格も、癖のある態度も、ある程度は扱い慣れている。
が。
今、景綱は政宗の思惑をはかりかねた。
「トモの歓迎の宴に姿を見せぬとは。下戸というわけでもないくせに」
思わずきょとんとした景綱に、政宗は責めるような視線を向けた。
自分はこんな小言のために呼ばれたのか。
(いや…違う)
五郎が舞を披露した、だの。
先の戦での自分の武勇話に朋夏が目を輝かせていた、だの。
楽しかった宴の様子を自慢気に話す政宗を見やりつつ、景綱は違和感を覚えていた。
饒舌な彼の姿は上機嫌だったり、また逆に不機嫌にもなっている。
それはまるで酔っ払い特有のあの不安定さなのだが。
しかし主君が通常のそれとは違っていることは明白だった。
なぜなら彼は、少しも酔っていなかった。
政宗は何がしたいのか。
「小十郎。あいつは、トモだぞ」
「…何のことでございましょう?」
つ、と真顔になった政宗を、景綱も正面から見据える。
今の発言で、彼の言いたいことはわかった。
政宗がなぜ自分に腹を立てているのか。
何を伝えようとして呼んだのか。
付き合いの長さゆえか、はたまた他の理由からか、それらは一瞬で景綱に理解できた。
だからこそ、景綱はあえて口にした。
「殿のおっしゃることがわかりかねます」
ほう、とつぶやいて、政宗は目をすがめた。
彼もまた、従者の心情を理解していた。
あくまでも互いにゆずらないであろう意志。
「昼間の動揺ぶりはなんだ。俺の部屋に来なかったのはなぜだ」
「久々に朋夏様にお目にかかりました。
それに、わたしには本日中に片付けねばならないことがございましたので」
「さすが当家随一の知恵者、俺の把握していない仕事も多かろうよ」
「滅相もないことにございます」
無駄なやりとりだ。
政宗は自分の言葉がさらりとかわされていくことに眉をひそめた。
(小十郎め、吐く気はないか)
いつだってこの従者相手に口で勝てたためしはないのだ。
「小十郎…もう一度、言う。トモは、トモだ。木名瀬朋夏だ」
「存じております」
「他の誰でもないぞ、小十郎」
「はい」
政宗の言葉を景綱は瞑目して聞いていた。
まぶたの上からでは感情すら読みづらい。
ヒュゥゥッ
遠くで風の音がする。
しばらくの沈黙の後、政宗はまた口を開いた。
「それで…そのままで、良いのか?」
それは主君としてというよりも、知己を思うひとりの人間としての言葉だった。
その言葉に、景綱もそっと目を開けた。
「もとより…わたしに選ぶ道などないのです」
いつか。そう、あの時に。
するりとほどけてしまった糸だから。
「許されることなどありはしません。…ねぇ、政宗様?」
そう言って自嘲の笑みをもらす景綱。
この部屋に来て初めて浮かんだ彼の本音の感情に、政宗は息をのんだ。
そして、何ひとつかける言葉が出てこない己をひどく憎んだ。
天正12年、長月。
彼らも、そして誰も知らないところで、時代が静かに廻り始めた。
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