第二章 一


「朋夏様!なんですかこの小袖のたたみ方は!」


秋空の下、米沢城の一室に女の声が響いた。


「そのように目くじらを立てずとも、朋夏様は姫武者であられるのだから…」
「姫武者などとはしたない。おなごはしおらしくしていればこそ」
「なんですか、その言い様は。おなごとて殿方がおられぬ時は自分の身くらいは守れねば」
「ふん、これだから田む…」

「はーい、そこまで!」

いつまでも続きそうな2人の女の言い合いを、その部屋の主が遮った。
“政宗の古くからの友で客人”ということになって早5日の朋夏だ。

「ダメよ、さくら。あなたまた“これだから田村の者は”って言おうとしたでしょ。
 それを言うからいつまでたってもお互いぎこちないままなのよ。
 お聿もそう。なんで仲良くできないかなぁ?」


目が合った瞬間、互いにふいと顔を背け合う二人に、ため息をつく。
見ず知らずの土地、それも400年も昔のところで、どうして自分は他人の仲を取り持っているのだろうか。



朋夏の前で見るからに険悪そうにしている二人は、さくらと聿という。
3度目のトリップ(だと周りは言う)とはいえ、戦国時代の生活様式が全くわからない朋夏のためにつけられた侍女だ。


あれから、城はひと騒動だった。

ただでさえ胡散臭い素性だと思われそうなのだから大ごとにしないでくれ、という朋夏の意思は完全に無視され、着物や生活道具などが恐ろしい勢いで用意されて。
どこかの国の姫君だというわけでもないのに、やたらに豪勢な品物ばかり与えようとする愛姫を周囲の人間がなだめすかして、母屋から少し離れた位置にある部屋を居室とすることで落ち着くのに、2日もかかってしまった。
広さはあれど、物置部屋と化していた場所なので、「このような場所でトモ様が過ごされるなんて…」と愛姫は自分の部屋かせめてその隣部屋を使うように、と最後まで粘っていたが、いくらなんでも伊達家嫡子の正室と、いきなり現れた客人を相部屋にはできない。
最終的には「毎日めごちゃんのとこに行くから!」という朋夏の説得で折れさせた。

侍女も当初は1人の予定だったのだ。
しかし、こと朋夏の件に関しては構いたがりの政宗夫婦と、さらには成実までがそれぞれ自分付きの侍女を譲ろうとして揉めた。
成実はすぐに諦めてくれたのだが、いつまでも譲らない二人に周りが合わせる羽目になり、結果としてこの2人が選ばれた。


(なんでここまでしてくれるんだろう)
彼らに聞けば旧知の友だから、で済まされるのだろうが、その記憶がさっぱりない朋夏は恐縮するばかりだ。


政宗と愛姫、それぞれから譲られた侍女というのがまた厄介だった。
はきはきとした物言いのさくらと、たおやかな雰囲気の聿。
どちらも年の頃は20代の始めで、朋夏よりもわずかに年上だ。
武家の行儀作法が叩き込まれている彼女たちは、主人の命令には絶対服従がモットーのようで、全く面識のなかった朋夏の身の回りの世話と教育係を文句ひとつ言わずこなしている。

…と、ここまでは非常に優秀な侍女の姿であるのだが。

問題は両者の仲がとことん悪かったことにある。
政宗付きのさくらは気が強く、愛姫付きの聿は大人しい。
主人に似たとしか思えない互いの性格はどうにも相性が悪いらしい。
それぞれ異性に対してであれば強みにもなろうはずの特徴が、癪に障ってしまうのだという。
それだけで済めば、職務上のみの付き合いと割りきれたのだろう。
が、さらに面倒なことに、2人の勤務方針は正反対のものだった。

さくらの主は奔放な上に細かな作業は面倒臭いと言ってのける人物なので、口を酸っぱくして、それもかなり声を荒げなければお世話は務まらない。
かたや聿の主は生まれた時から姫として育てあげられてきた者であるから、大抵のことは侍女の手を煩わせなくてもこなすし、むしろ彼女の話相手になることこそがお世話であった。

朋夏の未熟さを考えればさくらのスパルタ教育も仕方ないのだが、仮にも女相手にそこまで厳しく接さなくても、と思うと聿もつい反論してしまう。


どちらかが折れればいいと朋夏はこの数日ずっと思っているのだけれど。

もともと米沢に仕えてきたさくらたち政宗付きの者と愛姫に付き従って入城してきた聿たちの間には以前から確執がある。
表面上はまとまって見えても、個人単位としてはいまだ侍女たちの派閥意識は強い。
訪れてすぐの朋夏にそれを察することはできなかった。




21世紀を生きる朋夏にとって、この時代の暮らしはすべてが謎だ。
着物の着方から身分の上下による作法の違い、日常の仕草など、見聞きしたことがあるものも所詮はテレビや活字から得た知識。
何から何まで教えてもらわなければならなかった。
米沢城に居着いていい…もとい留まれと強引に命ぜられたが、ひがな一日、特にやることもないので、行儀見習いの時間に割かれることがほとんどだ。

そこで、冒頭の“小袖のたたみ方”に戻る。


「こうして、衿同士を合わせておけば、うまくたためるものでございます」
「背中心が曲がっていたり皺が寄っていたりすると見た目が悪うございますからね」
朋夏のたたんだ小袖を広げ、きちんとたたみ直すと、表面積がみるみる半分程になる。
「わぁー、薄くたためるんだ」
ぱちくりと目を瞬かせる朋夏に、侍女たちは肩を落とした。
(道着はくるくるっと巻いちゃうしなぁ)

着物なんて七五三以来着ていない。
かろうじて和風といえば浴衣があるが、それだって母親が他界してからは広げてすらいないのだから。


「一体どのように過ごされてきたのですか?」
ここ何日かで幾度訊かれたのだろう。
あまりの常識のなさに、朋夏の事情を知らない者が口にする言葉。
まさか400年後の世界からタイムトリップしてきました、とは言い出せず、曖昧に笑ってごまかすしかなかった。

「唯一、目を見張るといえば、その姿勢の良さですか」
はぁ、と呆れたように息をつくさくらに返す言葉もない。

あはは、と苦笑いする朋夏の伸びた背筋は、帯を締めていても見栄えがいい。
凛としたその姿は武家の息女でも通りそうだった。

「まぁ、剣道やってるしね」
「剣道…とは?」
あぁ、そうか。
この時代ではまだ道場剣術は生まれていなかったのか。
きょとんと返された反応に、朋夏は違った意味で驚いた。

「…刀、の訓練…かな?」
「まぁ!ではまことに朋夏様は姫武者ですのね」
誤解のないように端的に言った朋夏に、聿は目を輝かせた。

「いや、だからその“姫武者”ってやめてってば」
「まことにその通り。お客人の姫君様が刀をお持ちになるなど、殿の御名が傷みます」

照れた朋夏にかぶせるように、さくらが痛烈なセリフを吐いた。


「さくら!なんて物言いですか!」
「お聿がそのように喜ぶから朋夏様がいつまでもおなごらしくならぬのです」
さすがの聿もさくらの言葉に眉を跳ね上げた。
聿は女が刀を持って活躍する様を好んでいて、さくらはそのようなことはおなごの仕事ではない、といって嫌っていた。
それぞれの性格を考えるとまるで逆のようだが、この意見の違いも2人の仲違いの一因である。
この差が生まれた背景にはそれなりの事情もあるが、そのことを今の朋夏が知る由もない。



「なんですぐケンカになるのよーっ」
きっ、と睨み合う侍女たちを前に、朋夏は再び深くため息をついた。







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