第二章 二



「なに、“姫武者”って?」


顔を合わせれば即、言い争い。
また始まった、と頭を抱えた朋夏の上から明るい声が降ってきた。
これこそ天の助け。彼女にはその存在が神々しく感じられる程だった。

「トウゴ!」
ぱっと朋夏の顔に笑みが広がる。
ふいに現れた男の声に、侍女たちはさっと下座にさがって距離をとり平伏した。



「慣れてきたみたいだね?」
「んーまぁ、なんとか」
朋夏に向き合うように座った成実は、侍女たちとも馴染んできた様子の彼女に安堵の表情を浮かべた。
彼も慣れない朋夏を案じて暇をみてはここを訪れている者の一人だ。
城へ来た初日にあまりにそうそうたるメンツと出会って脳がオーバーヒートしそうになってしまったので、事前策としてこの城にいる人物、過去の朋夏と接点のある人物をあらかじめ教えてもらうことにした。
すらすらと書き連ねられた人名を見るたびに彼女は驚き、喜んだ。
成実としては対面時に露骨に彼女が慌てるのは不自然な上に事態がこじれるように思えたし、気さくな彼との会話は朋夏にとっても良い気晴らしとなっていた。
今日もそういった用件で訪れたのだろうが、侍女たちが控えている手前、どうだろうか。


「で、なに?その“姫武者”っていうのは?」
来てくれて助かった、と息をつく朋夏を前に成実は楽しそうに尋ねた。
面白いものでも見つけたかのような表情に苦笑が浮かんでくる。
「なんか、ね。お聿が勝手に呼んでるだけなんだけど」


2日目の朝、着替えを手伝ってもらうため、朋夏は2人の前で一度、着物を脱いだ。
服を着るのに誰かの手が必要だなど、まるで幼子のようで恥ずかしいことこの上ない。
来て早々にさんざん不思議がられた彼女の下着や洋服はすでに鞄にしまい込んで愛姫に預けてあったので、彼女たちにはいちいちごまかさずに済んだのがせめてもの救いだ。
ああそういえば、あの時の侍女たちには自分のことをどう言い繕ったのだろう。
ふとそんな疑問も浮かぶが、さすがにその辺りは政宗がどうにか手配してくれているはずだ。

襦袢を替える時に覗いた彼女の身体を見て聿は
「朋夏様はお体をずいぶんと鍛え上げられておられますね」
とつぶやいた。
言われた方は少なからずショックを受けたが、侍女たちの細腕を見れば納得もできた。
小学校から剣道を続けている自分の肩や腕は確かに筋肉がついている。
体質的にホディビルのような肉体美には至らなかったが、腕相撲ならけっこう自信がある。
それに比べてさくらや聿の腕は女らしい優しげな線を描いている。
彼女たちとて姫君ではないのだから日々の雑務をこなしてきているはずなのに、この違いはどうだろうか。
なまじ腕や肩以外の部分はそう変わらないために、自分の身体はバランスが良くないのではないかと悲しくなってくる。
この分では愛姫の隣に並ぶのには相当の勇気と度胸が必要そうだ。

とにかく。そんな朋夏は力強い腕のせいで、聿には姫武者と呼ばれ、さくらにはしとやかになれと怒られることになった。




「あっはっは!トモちゃんの腕がよっぽど男勝りだったわけだ」
「なっ…これでも傷ついてるんだからね!」

いきさつを聞いた成実は、これはみんなにも伝えねば、と大笑いした。
それに対して朋夏はぶすっと彼を睨みつけている。
自分の腕が筋肉質であることは認めても、これまで生きてきて、ことさら人より腕が太いと言われた覚えはない。
(Mサイズのカットソーの袖が問題なく入るのよ?標準よ、ヒョージュン!)

「あー、傑作。…しかしまだ剣術続けてたのか」
目の端に涙まで浮かべる成実。
「笑いすぎ」
「ごめんごめん」
謝り方が軽すぎる、と朋夏が抗議してもどこ吹く風だ。


「まだ…って、私、前に来た時も練習してた?」
彼らの話通りに4年前だというなら自分は中3。剣道はもちろんやっていたけれど。
それにしてもよくこの城の中で稽古などしようと思ったものだ。
思えばあの頃の自分は部活にすべてを懸けていたといっても過言ではない程打ち込んでいたような気もする。
長年やり続けて習慣というか日常のようになってしまった今では、眩しいまでの情熱。

「うん。いきいきしてたねー」
懐かしむ口調で言った後、成実は朋夏の名を呼び片目をつぶると、視線だけで下座に控える侍女を示した。
「……あっ」
朋夏の素性を知らない2人の前で昔の話、
それも朋夏自身には記憶がないことなど、口にすべきではない。
事情を話せばこれまでの無作法は納得されるのかもしれないが、それ以前に信じてくれようはずもなく。
そもそも“たいむとりっぷ”などという言葉を当たり前のように使う成実たちの方がおかしいのだ。
下手なことを口にして、これからの生活がぎこちなくなるのは願い下げだった。
慌てて口をつぐむと必死に話を逸らす。


「あー…うん、それでね。ちょっとお願いなんだけど」
「うん?何?」
「また剣道やりたいんだけど、ダメかな?」

なんとか引っ張り出した話題は、実は朋夏が望んでいたことでもあった。
このまま部屋でのほほんと過ごしていても体は鈍る一方だ。
毎日とは言わないまでも週に何度かはサークルで竹刀を握っていた朋夏としては、せめて素振りくらいはしたい。

「俺はいいと思うけど…」
「何か問題あるかな?」
「いや…でも俺の一存で決めるのはよくない気がする」

朋夏が一応は客人として招かれていること。
女が刀を持つことに理解ある者ばかりではないということ。

「じゃあやっぱり政宗に聞いてみた方がいいよね」
「それだけでは甘いと思うよ」
朋夏が知る限り、この城で彼女と交流の深い人々はずいぶんと思い切りがいい。
多くの家具やら着物やらを瞬く間に右から左に動かす程に。

自分の些細な頼みなど、すんなり通ると思っていた。
何も真剣を振り回すと言っているわけではない。
政宗の、それこそ鶴の一声で決着のつくレベルだろう。


「なんか、大袈裟じゃない?」
「まぁ、いろいろ面倒臭い手筈がいるんだよ」
今は、ね。
と、彼らしくもない奥歯に物がはさまったような言い方をする。


「もうじきお屋形様がお戻りになられるはずだから、直接お願いしてみたら?」
「えっ?輝宗様に会えるの!?」

成実の案を聞いた途端、朋夏はきらきらとした表情になった。
輝宗、とは政宗の父親の名だ。
もちろん、現伊達家当主である。彼女のミーハー心がまたも疼いた。
「うん!わかった、そうする!」

あの方はくせがあるよー、という成実の言葉はきっと耳に届いていないだろう。



「剣術の稽古始めるかもしれない!いいよね?さくら」
あまり良くは思っていなそうなさくらの了承を、どうにか得ようと朋夏は笑顔を向けた。
運良くいけば運動不足を解消できるかもしれない上に、またひとり大好きな武将に出会えるという。うれしくないわけがない。


「それは結構ですが、その前にやるべきことを終えていただかないと」
「頑張ってお行儀作法を身につけておしまいになって下さい」

彼女に負けないくらいの笑顔で、侍女コンビは言い放つ。

さくらが意外にもすんなり頷いたことよりも、聿がそう言ったことに驚いた。
自分が付いて世話している客人の剣技を目にするとあらば喜ぶはずで。
援護射撃しこそすれ、まさか作法を学ぶことの方に重きをおかれようとは。

“朋夏のお世話”は大事な主からの言いつけだ。
それを疎かにしてまでの剣術稽古など、彼女たちは許してくれそうもないらしい。
朋夏がこのままこの地にい続けるかどうかなど定かではないのに、だ。
自分が今後どうなるかわからない以上、行儀見習いがどれほど重要なものか。
(こんな時だけ息ぴったりなんだから…!)
一瞬だけ、発案者の愛姫を恨みたくなる。

絶句した朋夏の姿に、成実はまたも大きく笑い出した。







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